槇原敬之さんの「遠く遠く」を思う
これは、去年から下書きのままになっていたものです。
読み返してみたら公開しておこうと思ったので、ここにUpしておきます。
拝啓 槇原敬之様
「遠く遠く」
あなたがこの曲をリリースされたのは1992年だったのですね。
当時私は某有線放送社で放送モニターとしてたくさんの新曲に触れる、恵まれた職場にいました。「どんなときも」の人気は本当にすごくて、ヘビーローテーション設定ではないのに毎日頻繁にリクエストがあり、常にかけていたような記憶があります。
その2年後、私はワーキングホリデーでニュージーランドに渡航、予定調和の中で生きてきた、実家育ちで甘ちゃんだった私の独り立ちの一歩を踏み出しました。
ホームシックで毎日毎日泣き暮らした最初の一か月、ウォークマン(当時はカセットテープ!)で日本のお気に入り楽曲を聴きながら寂しさを紛らわせていました
そして、その中に入っていた一曲があなたのこの「遠く遠く」でした。
ほかにも聴けば当時が甦る、そんな曲は本当にたくさんあるのですが、とりわけあなたのこの「遠く遠く」という音楽に、私はどれだけ背中を押してもらったことか。
ワークビザを出してもらった会社の給料では食べていけないことを知って愕然としたとき。
空回りして会社で孤立した時。
悩んで悩んで職場の先輩に相談したら、なにか勘違いされて貞操の危機(!)に遭った時。
四面楚歌の中大失敗をやらかして大勢のお客様の前で頭を下げて回った時。
もう無理だ、帰ろうと決心して、いざ母親にそう伝えようとしたのに、どうしても「帰る」という一言が出せず、出てきたのが「やっぱりまだ帰れないよ」という言葉だった時も。
何度も何度も打ちのめされて落ち込んで、元来へなちょこな豆腐メンタルの私がそれでも踏ん張れたのは、帰りたくなる度に聴いてはもう少しがんばろうという気になれた音楽は、あなたのこの「遠く遠く」でした。
まだ帰れない。
今は帰れない。
日本に帰る時がくるとすれば、今よりも成長した自分になってから。
もうちょっとここでがんばろう。
帰る時は泣きながら帰るんじゃなくて、
笑って帰るんだ。と。
それからの私は泥沼のような状態から脱するべく、転職し、
引っ越しをし、たくさんの助けを得て、状況が変わっていきました。
そして時は経ち、2007年の12月に私は帰国しました。
自分に約束した通り、笑顔で。
今は結婚し、かわいい息子を授かり、親の介護問題やらいろいろ頭を悩ませながら、それでも幸せだと日々感じています。
昨日あなたのニュースを目にし、「遠く遠く」のメロディーが耳の奥に甦ってきました。
夢だった永住権を取得し、
英語で仕事をするという夢も叶えることができたのは、
車の中で、部屋の中で、シャワーを浴びながら、
泣きながら一緒に歌ったあの「遠く遠く」のおかげです。
今回2度目の挫折を経て、また音楽活動を再開されるというニュースを知り、SNSやニュースのコメント欄にたくさんのコメントが書き込まれていて、関心の高さをうかがうことができます。
なかでもたくさんの人があなたの作った音楽に勇気づけられたと言っていて、その声はきっとあなたにも届いていて、勇気づけられたり、新たなプレッシャーにもなっているかもしれません。
もう二度と薬には手を出さないと誓う。
そう強い決意で宣言された一度目の時の言葉は、おそらくもう怖くて言えないのではないかと思います。
それ程、麻薬がいちど味わってしまったら抜け出すのが困難なのだろうと思うと、麻薬の恐ろしさがすこし伝わってくるような気がします。
もし何かに押しつぶされそうで、薬に手を出さずにはいられなくなりそうになったら、どうかあなたの周りにいる、あなたのことを心配している人に助けを求めてください。
あなたのような生き方をしてきた人なら、必ず周りにいます。
そして、決してあきらめず、何度でも立ち上がってください。
自分さえ自分をあきらめなければ、かならず道は拓けていく。
それを言いたくて、どこかに残したくて、こちらにしたためます。
あなたのアルバムのタイトルが「宜候」と知り、なんて読むのかと調べたら、「ようそろ」なのですね。
新たな航海がよきものとなりますように。