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エゴが希望を紡ぐ。|映画ログ『うつくしいひと/サバ?』(行定勲, 2016/2018)

望郷の念というのは、侘しいエゴである。自分を中心に回っていた世界がまだそこにあると、あって欲しいと、切に願うことである。

行定監督、高良健吾、橋本愛、姜尚中…熊本ゆかりのメンバーが熊本の地で撮影した短編映画『うつくしいひと』(2016)『うつくしいひと サバ?』(2016)を見ながら、妙に腑に落ちてしまった。

誰もが誰か/何かの「亡霊」

18年間を過ごした熊本から上京し4年が経とうとしているが、お盆と年末に帰省を重ねるたび、うっすらとした緊張を覚えるようになった。かつて自分が眺めていた風景が、友人を過ごした時間が、すっかり面影を消してしまっているのではないかと不安になるからだ。

それは、『うつくしいひと』で姜尚中演じる男性が、初恋の相手である鈴子(石田えり)の面影を、その娘・透子(橋本愛)に投影する姿と似通っている。透子が「いい迷惑」と呟くように、まったくもって自分本位な動機である。

『うつくしいひと サバ?』で、フランスからはるばる震災後の熊本にやってきたマチューが、被災地で出会った少女に妻・マリの姿を見出す姿も然りだ。

しかしながら、この投影を"ジコチュウ"とは切り捨てるのはあまりに多くを捨象してしまう。誰もがお互いに、誰か/何かに、今はなき存在の面影を仮託することで、希望をつないでいるような気がするからだ。ベンヤミンのいう「引用」のように、現在を破壊し、過去を別の文脈で再生し、希望を繋ぎとめようとしているのかもしれない。誰かを誰か/何かの「亡霊」として眼差してしまうことをやめてしまったら、あらゆる関係性は儚く消えてしまうかもしれない。

愛って案外いいかげん

行定監督の前作『真夜中の5分前』(2014)でも、この「持ちつ持たれつ」に関する問いが投げかけられる。上海で時計職人をする良(三浦春馬)が、一卵性双生児の姉妹に恋をするというストーリーなのだが、行定監督はインタビューでこのように述べている。

「誰もが人を愛することはあるけれど、何において愛しているのか。それは不確かだということを、この話は浮き彫りにしているんです。これは、自分は恋人の何に対してを愛を持っていたのかを疑う話なんです。その疑いの目を持ったときに初めて、自分という存在に対しても疑いを持つ。

出展:【インタビュー】三浦春馬が想う「愛すること」
https://www.cinemacafe.net/article/2015/01/05/28478.html

「愛すること」は、いい加減で粗い物差しなのかもしれない。しかし、愛を覚えた人は、水を得た魚のように活き活きと人生を闊歩する。『真夜中の5分前』では、そんなアイロニーがほんのり切なく描かれる。一方で、『うつくしいひと/サバ?』では、次の一歩へ背中を押してくれるもの、復興の活力となるものとして、あっけらかんと積極的に描かれる。

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阿蘇くまもと空港に降り立ったときに手を振って出迎えてくれる家族や、ジャスコのフードコートでだべってくれる友人がいなくなったとしても、熊本には侘しいエゴを感じ続けると思う。たとえすっかり様変わりしたとしても、「かつてそこで暮らした私」を朧げに眺めながら、田んぼとビニールハウスが延々と続く平野に訪れ続けるだろう。



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