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24歳無職が考える「無職期間を有意義に生きる方法」
これは私の人生2度目の無職期間に書く1つ目の日記だ。 それにしてはやけに前途多難で自虐的なタイトルだなと自分でも思う。 暇に精神を殺されそうになった時に見て振り返るためのなんちゃって抱負文だ。 飲食店パートで最後にもらった嬉しかった言葉と、それを踏まえての学び、これからの目標をちょっと意識高めに最後は締めくくればいい。
今年の年明けにパートで働いていた飲食店を辞めて早くも2週間が経った。
現在は、一人暮らしのアパートから田舎の実家に帰ってきてまた人生の冬休みという名の無職ライフを過ごしている。
でも、実際私の頭の中はずっと何かを考えておりあまり休まっていない。
24歳にもなってこんなことしてていいのか?
60歳になる親は週に1日しか休まず働いている。
バイタリティーを24歳の私よりも持ち合わせている。すごい。
私は週4日7時間の仕事すら投げ出して逃げたのに。
と悶々ぐるぐる悩む自分と、「あれもやるぞこれもやるぞ!病んでる暇なんてない!」とやる気に満ち溢れた自分が同居している。
仕事と1人暮らしを辞めた途端、親への罪悪感と羞恥心が増した。
自分で選んで戻ってきたくせに、自分をさも”かごの中の小鳥”のように被害者ぶってる私が恥ずかしい。
でも、2年前の私とはもう違う。
「病むのは不毛だ。なにか有意義に過ごそう」
「あぁ私今病んでるな、行き詰ってるな」
と自分を客観視できるようになったところは少しは成長したなと思う。
やっと引っ越し作業が終わり、実家の断捨離と整理が終わって少し落ち着いた。
今は有給休暇消化期間だから開き直って、年始に考えたやりたいことリストの中から手近なものを攻略している。
先日は家族の誕生日だったので、夜ご飯の料理番を担当した。
やりたいことリストの内の1つ、「家族に料理をふるまう」もクリアだ。
無職は暇で、人間は暇だと病む。これは2年前に無職だった時に分かったことだ。
働いていないということにどうしても罪悪感がある。
どうやら人は、もしくは私だけなのかもしれないが、暇は向いていないらしい。
無職が持っているものは時間くらいだ。
なんせ、職がないのだから。
この時間をいかに有効に使うか、暇という麻縄に首を絞められないために熱中できるものを見つけるかが鍵だ。
日々、食事をして風呂に入って寝る繰り返しじゃなく、1週間前の自分よりかはマシだな、と思えるよう課題をこなす必要がある。
暇だなと思った時にはやりたいことリストを見返して、気が向くものから手をつけていく。
インプットばかりではなくアウトプットも心がける。
自分がただの動く塊ではないことを証明し続けたい。
こうやって言うだけは簡単なんだけどね。
看護師時代に適応障害になってから自分は無能で働けないんだ。と自分のことを諦めていたけれど、飲食店バイトをやって、いろんな人に頼られて、「意外と自分って出来るんだ」と自信を持つことができた。
飲食店バイトの最終日、スタッフのみんなが私にと花とメッセージをくれた。
その日出勤していなかった後輩も、LINEでメッセージを送ってきてくれた。
その中で一番多かった文言が
「丁寧に、わかりやすく教えてくださってありがとうございました」
だった。
これまで人に何かを教える、ということが無くて褒められたことがなかったけど、今回、自分は人に何かを教えることは楽しいし得意なのかもしれないと思えるようになった。
社会的役割を放棄している無職の今、人に教えられることはないけれど、また誰かに私が要ることでなんらかの価値を提供できる人間になりたいと思う。
また与えられた無職期間を無為に過ごさず、目標を持って過ごしたい。