超人見知りな私が海外に住んでいる理由 その③
バリ島からこんにちは、さっちゃんです。
シリーズ?超人見知りな私が海外に住んでいる理由、是非①と②も読んでみてください。
「超人見知りな私が海外に住んでいる理由 その①」
「超人見知りな私が海外に住んでいる理由 その②」
はい、前回私は日本に戻り旅行会社でとある大きなプロジェクトを任せられるも、自分に鞭を打ちながら頑張ってきました、というお話をさせていただきました。
私がそのプロジェクトを任されている間感じていた事、それは・・・
* お願いされたことは断れない
* 仕事を途中で投げ出すなんて責任感がなさすぎる
* もうこんな仕事嫌だけどやめる勇気はない・・・
* 私だけが辛いわけじゃない。みんな大変なんだ!
* 仕事辞めたら生活できないよ・・・
* 簡単に仕事を辞めるなんて忍耐力のない人だと思われちゃう・・・
* お金がないと何もできない
そう、この時自分の心は既に「無理!!」って悲鳴を上げていたのに、世間体や常識を気にする私の頭が、なんとか頑張りなさい、あなた・・・と無理矢理縛り付けていたのです。
きっと皆さんの中にも仕事を辞めたいけど辞められない、と思っている人もいる事でしょう。
当時の私は、平日はほぼ毎日始発から終電迄仕事、という生活だったので、もちろん自炊なんてする気力もなく、コンビニのお弁当かインスタント食品と、外で買えるものしか食べていませんでした。
さらには、せめて昼ご飯くらいはまともなご飯を食べたら違っていたかもしれませんが、お昼ご飯の時間も外に出る時間が勿体ないと思い、結局1年以上まともなご飯を食べずに過ごしていたのです。
そんな中、私の体に異変が現れます。
先ず現れたのがアレルギー
鼻がものすごく痒くなり、鼻水が出て、くしゃみばかり・・・
目も痒くてx2仕方がないし、顔や体中のかゆみが止まらない
こちらもアレルギーの薬を常備するのですが、抗ヒスタミン剤はとにかく眠たくなるんですよね・・・。
でも仕事中だから眠るわけにはいかず、必死で眠気を振り払おうと努力をするわけです(笑)
このアレルギー、始めは花粉症かな?位にしか思っていなかったのですが、とにかく酷くて、酷くて・・・
始めは花粉症程度の症状だったものが、どんどん広まりハウスダストやちょっとした繊維にも反応するようになり、超敏感肌になってしまったのです。
ここまで酷いとどこにも出かけたくなくなるし、だんだん機嫌が悪くなってくるのが厄介なんですよね。自分自身でコントロールできない事で、常に四六時中イライラさせられているわけです。
自分でも一番酷かったな・・・と思うのは、たまに実家に帰ってアレルギーが発祥してしまうと、母親に当たっていたことですね。
自分が辛くて、イライラして思わず周りの人に当たってしまう、そして冷静になって自己嫌悪になる。
この負のスパイラルをずっと続けていたように思います。
このアレルギーに慣れてきたころ(正確には慣れてはいないけれど、既に慢性化した頃というべきでしょうか)
次に現れたのが、頭痛とめまいです。元々頭痛もちな私ではありましたが、以前までは多くても月に1回とか、数か月に1回、疲れた時や生理前などでしたが、ほぼ毎日頭痛薬を手放せない日々になりました。
それが、1か月に1回から2週間に1回、1週間に1回、1日おきという感じで、とにかくどんどん増えていきました。
さらにはめまいもひどく、立っている時も座っている時もフワ~ッとっと突然視界がぼやけたり、クラクラしてくるのです。
私はその原因が心にあるなど微塵たりとも思っていないので、何かの病気だと思い、何度も病院へ行ってはCTを取ってみたり、MRIを取ってみたりするのですが、なんの原因も見つかりませんでした。
とにかく今思うと常に体がすっきりしない、何かしら具合が悪いままの生活でした。
体もそんな状態ですので、私はほとんど外出をしなくなりました。
土日など休みの日は家から一歩も出ない、なんて日も普通にありました。
友だちに誘われても外出することが面倒で、忙しいとか体調が悪い、などといい断る日々が続いていました。
そんなある日、私はいつものように通勤電車に乗ろうと、駅で電車を待っていたところ普段のように体がふらつき、めまいがしてきて、ふと思ったのです。
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「私今このまま倒れて電車にひかれてしまえば、明日から会社行かなくて済むし、もうこの辛さから解放されるなぁ・・・」と。
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でもそんなときに限って体が思うように動いてくれないんです。いつもだったら足元がふらふらするのに、怖くて電車の方へは近づけない、臆病な自分にまたしても自己嫌悪に陥るのでした。
そんなある日、私はまた久しぶりに実家に帰りました。私の状態など一切話をすることはありませんでしたが、私の状態を見た母親が
「本当に体が辛そうだから、仕事辞めてバリ島でのんびりしてくるっていう選択肢もあるよ?」
と、声をかけてくれました。
2002年に初めてバリ島を訪れて以来、私はとにかくバリが大好きだという事は母親もよく知っていましたし、母親とも一緒に何回も訪れていました。
きっと母親にはわかっていたんでしょうね。私がもう精神的にも肉体的にも限界だという事を・・・
その一言で、私は再び日本を出て海外へ住みたいという願望が昔からあったことを思い出しました。
でも私はふら~っとバリ島へ行くことはしませんでした。
もしも私が、自由気ままに動けまわれる性格で、ふらーっと出かけられるような人だったらきっとまた状況は変わっていたかもしれません。
どっちが良いのか悪いのか、人生は選択の連続だからわかりませんが。
ただ、その時に私が思ったことは、そうだインドネシア行こう!
でもどうやって?
そう、私には「行く」という事に対して理由が欲しかったのです。
ただぷら~っと行けばよかったのにね(笑)
そこで色々考えた私は「留学」をすることにしました。
元々自分ができない・持っていない事へのコンプレックスが大きく、自己肯定感がものすごく低かった私。
以前オーストラリアへ行った時に、自分の英語の力が不十分だという事を痛感していた私は、今度こそインドネシア語を完璧にしてこよう!そう思ったのです。
今思うと笑っちゃいますwこの世に完璧なんてないのにね
さらに、学歴コンプレックスもあった私としては、例え単なる語学留学だったとしても、インドネシアで一番頭のいい大学に行きたい!そう思い、インドネシア大学の留学専科へ全て自力で申し込み、送金、ビザの手配等などを行いまだ一度も訪れたことのない「ジャカルタ」というインドネシアの首都へ旅立つことを決めました。
理由や、同機は何であれ、改めて思うと何かをやりたい!って思ったときに自分の行動力はすごいなぁって思います。
まだ一度も訪れたことがない都市にいきなり留学しようとしているんですよ(笑)下見もせず。
当時の私はバリ島へは何十回も行っていたせいで、私は「インドネシア」を知っていると勝手に思い込んでいたのです。
そう、アメリカもオーストラリアも街の雰囲気は少々違えど、どの都市もなんとなく同じような雰囲気ですよね?
そんな感覚で私はジャカルタ行きを決め、いざインドネシアはジャカルタへ飛び立つことになりました。2010年4月の事でした。
という事で第3回目はこのあたりで終了にしたいと思います。
続きはまた次回!