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#6 お父さん自慢

こんばんは、なんちゃって2拠点生活中のさちです。まだnote始めたばかりですがスキ、フォロー、コメントたくさん嬉しいです!
私もたまにコメントしに遊びに行かせてもらうと嬉しい返信がいっぱいで…本当にありがとうございます😊❤️‍🔥


前回に引き続き亡き父との最期の10日間の思い出です🥸

亡くなるまでの約10日間、母と私たち子供3人は交代しながら24時間父と一緒に時間を過ごしました。

日中は兄と弟が付添い、その間に母と私は車で30分かけて自宅に戻り、ご飯とシャワーを済ませる。夕方くらいには病院に戻り、夜は病室で寝る。というような生活をしていました。

そんな中でお父さんすごいなーと思ったエピソードです。


看護師さん

父は看護師さん1人1人の名前を覚え、いつも名前で呼んでいました。小さなことですが、職業で呼ぶのではなく、名前で呼ぶのは個人として関わってる感じがして素敵だなと思いました。


感謝

1番大変なのは父本人なのに、看護師さんに何かやってもらうと、いつもありがとうございますと丁寧にお礼を言っていました。
感謝の気持ちをもち、どんな時でも謙虚にいる父は本当にすごいと思いました。

真夜中に見えた!

病室で寝泊まりしていた時に、1度だけ少し怖い思いをしました。父が夜中に目を覚まし、ベッドから起き上がりました。私は「まだ夜中だよ」と言いながら父と少し話をしていました。すると、父が天井を見て目を見開き、何かひらめいた様な顔で「見えた!」と言いました。

真夜中の病室。とても怖かったです笑
怖くて思わず隣で仮眠していた母を起こしてしまいました。その後は特に何もありませんでした。
翌朝、父に「何が見えたの?」と聞いてみました。すると…「おじさん」と言っていました。誰だったんでしょうね笑


おはよう

私達が寝泊まりしながら24時間一緒にいると、父は寝たり起きたりを繰り返していました。起きてる時は痛みで苦しむか、意識がモウロウとしているか、吐き気に襲われているか…あまり穏やかに過ごせている様子はありませんでした。寝ても2時間前後。父は昼夜問わず目が覚めると必ず笑顔で嬉しそうに「おはよー」と言っていました。もしかしたら、また家族に会えた、まだ生きてるって思えて嬉しかったのかな?なんて私は思いました。おはようとニコニコしながら言っている父の顔は忘れられません。


聞こえる

意識がもうろうとしていることが多かった父。それでも頭はしっかりしていたので、返事がなくても話しかけたり、家族で色んな話をしていました。するとふとした時に話に入ったり、返答したりします。会話をする力がないだけでいつでも話はちゃんと聞いてる父でした。本当耳はちゃんと聞こえてて驚きです。


忘れられない一言

夜中はいつも眠れなくて大体私が父とおしゃべりしてました。悲しい顔をすると父が心配すると思ってなるべく笑顔でいました。その日も他愛もない話をニコニコしながらしてました。すると父が満面の笑みで、「さち可愛いねぇ」とまるで幼い子供に話しかけるように言いました。今までそんな事言われたこともなかったので驚きました。
私は、“あぁ親はいつまでたっても親バカなんだなぁ“と実感した瞬間でした。でも、あんなに嬉しそうに可愛いなんて言う父は初めてみたし、忘れられない一言になりました。(今でも思い出すと泣いちゃう🥺笑)



帰宅

正直最期の数日は私からみると、亡くなってほしくないけど、早く楽になってほしい様な状態でした。息を引きとると少し安心した気持ちと悲しさが入り混ざっていました。亡くなる数日前から家に帰ると言っていました。本当は意識がある時に一緒に帰りたかった。亡くなったその日に家族みんなで家に帰りました。お父さん、おつかれさま。


弔問

翌日から告別式まで400人以上の人が会いに来てくれて、色んな話を聞かせてくれました。会社でも地域でも親族内でも本当に優しくていい人だったのが沢山の人の話で実感できました。
お父さんすごい。


最後に

もうすぐ3年になる今でも思い出すことも沢山あるし寂しいけど、もうこれ以上お父さんと過ごす未来はありません。今ある環境と周りにいる人達との時間を大切に前進あるのみ✊

ここまで読んでいただきありがとうございました!

さち


さちはこんな人です💡
今後ともよろしくお願いします😊

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