ライフキャリアについて学び、考える機会
キャリコン養成講習の日。キャリア理論家祭りで頭パンク中である。
それにしても、日本でのキャリアコンサルティング、キャリア形成支援に関する諸制度の整備は、なぜこんなにも遅れたのかと、改めて考えてしまう。終身雇用、年功序列のシステムが標準装備だったため、キャリアの形成は国というより企業の中での問題だったということなのか。高度経済成長期以降、バブルが崩壊するまでは、学校を卒業したら就職して、そこで定年まで『勤め上げる』という考え方が一般的だったのだから、そういうことなのだろう。
困らなければ改善しようとしないのは人間の性なのかもしれないが、20世紀初頭からアメリカではキャリアの問題に関する理論が次々と現れていたのに、それを知ろうともしなかった、いや、知りもしなかったということか。アメリカでそのことを知った人達も、へえ、アメリカで働くって大変なんだ、くらいの反応だったのだろうか。
でも、全体の流れとしてはそれで成り立っていても、キャリアのことで悩んでいる人はきっとたくさんいたはずだ。企業の中では解決できない問題もきっとあったはず。それらが労働問題として国にはどのように届いていたのだろう。まださわりしか学んでいない身ではわからないが、水面下には存在していた問題が、終身雇用が崩れ、雇用環境が大きく変化したことで顕在化したということもあるだろう。
個人個人がキャリアを考えていかなければいけない(考えられる)時代になったからこそ、職業的な軌跡、積み上げという意味のキャリアだけでなく、ライフキャリアという考え方を子供の頃から当たり前に持つような教育の体制になって欲しいと思う。価値観は変わるものだけれど、自分がどのように生きていきたいのかを考える癖というか、繰り返しそれを立ち止まって考える習慣が身についていれば、進学や就職のタイミングで慌てなくてもよくなるし、無理して我慢して敷かれたレールの上を歩かなくても、いつでも方向転換ができる柔軟さも身につけることができるのではないか。
我慢することは悪いことではないけれど、無駄な我慢は不要だ。そのレールの先にあるものが自分の望む未来でないのなら、我慢する労力を新しいレールを敷いてそちらに進むことに使ったほうがずっと幸せになれると思うのだ。
職業は生きていくうえで重要な要素の一つだ。ただ、それよりも優先しなければならない、優先せざるを得ない出来事に見舞われたり、環境にとらわれてしまったりと、悩んでいる人がたくさんいる。どうしたらもっと生きやすい世の中になるのだろう。そんな思いが常に頭から離れない。