見出し画像

こんなに頻繁に夢に見るなんて

秋のお彼岸の少し前くらいから、毎日のように母が夢に出てくる。
これは夢だな、と分かることもあるし、何気ない日常のひとコマとして、いたって自然に時間を過ごしていることもある。

そして目が覚めた時に、ああ、今日も母がいたなぁ…と思うのだ。

母が急逝してから13年、こんなに頻繁に夢に見たことはあっただろうか。夢でもいいから会いたい、と願った日は数えきれないが。
確かにこの時期、お彼岸と母の命日が近いこともあり、母のことを考える時間は長くなるのだけれど、それにしても頻繁過ぎる。母が夢に出てくると、ああ、母はもういないのだ、とため息をつくようなことも多かったが、これだけ頻繁に見ると、逆にどういうことなんだろうと考えてしまうので、ため息という気分でもないのだけれど。

もちろんその理由を夢の中で教えてくれるわけでもなく、毎回毎回、非常にバラエティに富んだ場面で、母はごく当たり前の顔をして現れる。そして大抵の夢がそうであるように、目が覚めた瞬間は鮮やかな記憶が、あっという間に溶けて行ってしまい、覚えているのに思い出せない、というもどかしい思いをすることになるのだ。だからもしかしたら、理由のヒントくらいは暮れているのかもしれないけれど、思い出すことはできない。

さて今夜も母は現れるのだろうか。
明日の朝こそ、何かヒントは得られるだろうか。

幸せな気持ちで目覚められるといいのだけれど。

いいなと思ったら応援しよう!