箸置きの一枚
あこはるかさんがあこはる企画を発表しました。
お題は『箸置き』。
「ずいぶんピンポイントなところに来たなぁ。」
そう思いながら、はるかさんのヘッダーの箸置きを見つめていました。
うちにあるなぁ。似たテイストのが…
撮った!
台所から箸置きを出してきました。
最近、箸置き使ってなかったなぁ。
一気に思い出がよみがえりました。
🥢 🥢 🥢
おばあちゃんが亡くなったのは平成22年の5月。
最近、母から「親族の年表を作った。」と送られてきた一枚の紙に書いてあった。
おじいちゃんは平成18年の4月。
あれは確かおじいちゃんが亡くなる2年前。
「腰が痛くて歩くのが辛い。」と手術をすることになった。
確か、背骨の手術。
80過ぎてあまりやらないと聞いたその手術を、「また快適に歩きたい!」との思いから手術を決めたおじいちゃんの勇気を、心から応援したいと思った。
おばあちゃんから連絡があった。
「来て、手伝って欲しい。」
どうして呼んでくれたんだろう?
ひと夏の夢のような時間。
わたしは、頼み込んでひと月仕事を休み、夫と2人で京都に行くことにした。
夫はその頃ちょうど無職で、おばあちゃんから「ぜひ一緒に来て!」と誘われていた。
前の年の秋に、サーキットで転んで右肩、左手、右足を骨折し、翌春にリストラされて無職になっていたのだ。
わたしたちはすぐに車で向かった。
おばあちゃん家に着いてからは、毎日、おじいちゃんの病院に行き、足湯をし、おばあちゃんと食事を作って食べた。
おばあちゃんは箸置きを集めるのが趣味だったみたいで、いつも色んな箸置きが食卓に登場した。
その箸置きには一つ一つおじいちゃんと出かけた旅先のストーリーがあって、その話を聞きながら料理を食べた。
週に一度、お休みの日をくれて…
夫と2人で行った、病院までの道すがらの釣り堀が思い出深い。
前の日だかに大雨が降って、池の水位が上がり、2つの池に分けているはずのフナとコイが混ざってしまった…とのこと。
わたしたちはその頃ヘラブナ釣りに凝っていたので、ヘラブナを釣るつもりでフナの池の前に腰を下ろした。
「ん?ちょっと重いけど、動きが無いね…」
夫が横で言いながら、上がってきたのが60cmオーバーのコイで… 2人で大笑いしてしまった。
その後も、フナ、コイ、フナ、コイ…くらいの頻度でコイが上がってくるので、「わたしたち、コイを隣の池に戻してあげるために釣ってるんだよ。きっと。笑」って2人で爆笑しながら他に誰もいない釣り堀で一生懸命コイを釣り上げて、やっぱり大笑いしながら元の池に戻してあげた。
今もその釣り堀の前を通ると、楽しかったやり取りを鮮やかに思い出す。
おじいちゃんは、毎日リハビリに励んでいて、「一歩歩けた。」「また一歩。」と不屈の闘志で回復に向かって頑張っていた。
一緒にひと月を過ごし…
おじいちゃんはまだ退院してなかったけど順調に回復し、おばあちゃんも大丈夫そうなので、わたしたちはまた自分たちのうちに戻ることになった。
おじいちゃんはその後、退院し、また自由に歩けるようになった。
「また、出かけられるようになった。」と、とても喜んでいるとおばあちゃんから電話や手紙が来た。
そう思いながら、子どもを身ごもり、出産…
おじいちゃんにひ孫を身ごもったことを告げると電話口で「でかした!」と言ってくれた。
そう思っていた生後半年頃、体調を崩したおじいちゃんが入院した。
面会できない病気だった。
端午の節句の兜と息子を共に写した写真を送り、「おじいちゃん喜んでるよ!」と返事をもらった後にすぐ、おじいちゃんは空に旅立ってしまった。
何より、手術後、元気になったおじいちゃんに会えなかった。
妊娠していたり、体調を崩していたり、色んな理由はあったけど、もう一度、おじいちゃんと京都のまちを歩きたかった。
その願いはもう叶わない。
🥢 🥢 🥢
でも、このひと夏の思い出がある。
おばあちゃんもおじいちゃんのところに旅立った後、うちに来たたくさんの箸置き。
それは、おじいちゃんおばあちゃんと過ごしたあのひと夏の思い出と共に、いつも台所のひと角にある。
大切なもの。生きていくのに必要なもの。
この企画で思い出すことができました。
はるかさん、どうもありがとう (*^^*)