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人のせいにしない


やさしいピアノソロ ヒット数ではじめる!
初心者ピアノ 〜バラード人気曲〜
別の人の彼女になったよ wacci
作詞・作曲 樋口洋平


久しぶりに録れた!3日ぶり。
それだけで嬉しい。



去年、とある人に
気になっていることを
思い切って言ったことがある。


どうしてそんな態度を取るの?
そして、どうしてその次普通に会えるの?


ひどく機嫌が悪くなる。
言い方がキツく明らかに怒っている。

子どものような八つ当たりをされる。
サンドバッグにされてるみたいな気分。

そんな時、いつもこう思う。


わたしは、この人の彼氏。(もしくは夫)


目の前のこの人はわたしの彼女。
すぐ怒ったりするところも可愛い。

言いたいだけ言ったら落ち着くから
溜まっているものは吐き出させてあげよう。


目の前で怒っている。
LINEでキツイことを書かれることもある。

いつもこれで縁が切れるんだろうなと思う。

それなのに…
次に会ったら笑顔で名前を呼ばれる。


この人、どういうつもりなんだろう。

わたしだったら
あれだけ自分の怒りをぶつける時は
この先一緒にいることはない覚悟で言うけど…


いつも不思議で
この先一緒にやっていける気がしなくて…


で、思い切って聞いてみた。


意外な言葉が返ってきた。

『私はいつもこんなに我慢してたのに…
 我慢してたのが伝わってたんだ。

 だって〇〇ちゃん(わたしのこと)
 いつも人のせいにするでしょ。

 私、ほんとはもっと本音で話し合うの。
 もっとキツイことも言うんだ。

 〇〇ちゃん、うつ病だから
 キツイこと言えないでしょ。

 だから我慢してたのにそんなこと言われて。
 ひどい。言ってもいいの?これから。』


わたしは思わず首を横に振ってしまった。


いやいやいや。
今までので充分キツいから。

さらに本気でキツく言うって
どんなレベルで何を話すんだろう。


その頃、まだうつ病が
完全に良くなったのかわからなかったから
ごめんなさいをして
本音は言わないようにお願いした。

そして
「人のせいにしててごめんね。」とも言えずに
「そうだったんだ。」とだけ返した。



いつも人のせいにしてる

その言葉はずっとトゲのように
心の中に刺さっていた。


わたしのどこが?どんなところが?


ずっと頭に残っていた。


人のせいにしていると
感じるとしたらどんなとこ?

「あの人のこんなところがこう。
 あの人のこんなところがそう。」

何か問題が起きた時
どうしてそうなったか原因を考える。

その時に
「誰かのあそこがこうだったら…」
という分析結果に至る。


それはわたしにしたら
ただの原因究明なんだけど

そこに自分を含んでいなかったかもしれない

と、ふと思った。


あの人がこうだからああなった、と同じくらい
わたしがこうだからああなった

ってことを考えていないのかもしれない。


そこも含めて分析していかないと

あの人のここが悪い。この人のここが悪い

と人のせいにしているように見えるのかもしれない。

そう気づいた。


ここに至るまで数ヶ月かかってるんだけど…


そう思ってみると何かあった時に
他人の改善点ばかり挙げて
自分の改善点は考えていないことに気づいた。



そして今回。

先週恐ろしく忙しくて
わたしは月曜日の夜に熱が出て体調を崩し…

同じくらい忙しくしている人が
昨日の夜、LINEに不満をぶちまけた。


不満をぶちまけたのではなく
思いを手放したんだ。

そういうことだ。
そう思えることが大事なんだ。


色々書いているLINEに
気分を害してそうな人がいたので
朝からフォローのLINEを入れた。

その人に「ごめんね。」と書いて
不満を書いた人には
「思っていることを書いてくれてよかった。」と返した。


いつもだったら

「わたしだってギリギリでやっている。
 いちいち報告してないだけで
 こっちも倒れそうなくらい動いてる。
 こちらの非ばかり書いてるけど
 あなただって抜けてるとこあるでしょ。」

ってムカっとして

「書いてくれてよかった。」

なんて言えやしなかった。


でも、昨日
自分のがんばっていることをnoteに書いて
(その後ちょっと落ちてたんだけど)

実はそのことで心は満足していて
相手の不満を受け止めることができた。

そうだ。きっと。


自分のがんばっていることを
現実世界では口にしない。

そんな自慢みたいなこと
聞かされても返事に困ると思うから。


でもnoteは言葉のまま
受け取ってくれる人がいると信じて

自慢みたいなこと書いて
ごめんなさいって思いながら書いた。


書いて何になるんだろうって思ってたら
今日役に立った。

noteでがんばってることを言えたから
自分にどんな非があったか
冷静に考えることができた。

わたしの足りないところ、悪いくせ
周りに迷惑をかける行動
それを具体的に書いて
それについて「ごめんなさい」と書けた。

相手の非は書かなかった。
「あなたのここが」って分析はあったけど
今書くことじゃないんだろうって思えた。


彼女は昨日の夜中に我慢の限界に達して
「いい加減にして!」とキレたんだろう。

分担してほしいと書いてあったから
すぐに他の人にお願いをして
やることを減らせるように動けた。


それは全部、昨日
わたしがどのくらいがんばってたかを
noteに書けていたから。


嫌なことを手放すことも大切だけど
がんばっていることも言葉にした方がいいんだ。

noteの誰かがそれを読んで
『ああ。がんばっているんだね。』
と思ってくれていると思えるだけで
心は満足するんだってことが今日わかった。


昨日、書けてよかった。

昨日、noteを読んでくれて
本当にありがとう。



まだ、もう少しがんばらないといけない。

無理をしているようには見えないように
がんばらないといけない。


現実世界では
がんばってないふりをして
みんなの知らないところで踏ん張っているのは

それがいつかまちのためになるから。


やる必要がないと思われていることが
あった方がいいね!になるまでは長い。

今は、ニーズは小さいけれど
少しいる喜んでくれる人のために
がんばりたいと思う。


引き続き、応援よろしくお願いします。





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