ひと夏の… あの日の景色。あの日の味。
あの日、あの味。
思い出すのは、ごつごつの殻の新鮮な岩牡蠣。
息子が生まれる前、おばあちゃんのおうちでひと夏を過ごした。
どうしておばあちゃん家に行ったかは、こちらをどうぞ(*^^*)
午前中はおじいちゃんの病室に、午後はおばあちゃんと近くのお店に食材を買いに行った。
今思うと、そのお店は小さいけど高級食材が置いてあって、見たことがないものがたくさんあった。
その一つが岩牡蠣だった。
見た目、「岩でしょ?!」としか思えない不恰好な殻の中に、乳白色のつやつやプリプリの身がゆりかごの中にいるように鎮座していた。
「美味しいのよ♪」と手を伸ばすおばあちゃん。
おばあちゃんと夫とわたしの3人分かごに入れた。1人2〜3個食べられるように買った気がする。
「牡蠣はあたると怖い。」とよく聞くので、どうやって食べるんだろう?と思っていたら、「生のまま食べるのよ。」とおばあちゃんは言う。
夕飯の時間になった。
冷えた岩牡蠣が食卓に並ぶ。
半分に切ったすだちを絞る。
殻についた身をはがす。
恐る恐る口にする。
大きくてひと口では入りきらない。
真ん中で噛み切ってみる。
その瞬間とろっとした甘さが口の中に広がった。
牡蠣とは違う。全然違う。
苦味も無い。ただ濃厚なとろっとしたもの。
あまりに美味しくて、「美味しいね!美味しいね!」と夫と2人、夢中で食べた。
一緒に過ごしたひと夏の間に、おばあちゃんは何度も岩牡蠣を買ってくれた。
孫が嬉しそうに食べる姿を見たくて、きっと奮発してくれたんだろう。
毎日、朝は小松菜と卵のお味噌汁を作った。
小松菜をザクザク切り、「こんなに入れるの?」と驚くほど鍋に入れて… でも、煮てしまうとお味噌汁の具として目立たない量になるのが不思議だった。
仕上げに卵をポトンポトンと割り入れて…1人一個の茹で卵をお味噌汁と一緒に食べた。
たまにラクをする時は、《青の○○》という高そうなレトルトソースを買ってパスタを作った。
毎日毎日一緒に料理をして色んなものを食べたはずなのに、この3つのメニューしか覚えていないのがとても不思議。
8月16日は、夜、病院に車を停めて、夫と一緒に大文字焼きを観に行った。おばあちゃんは留守番をしていた気がする。
病院から少し歩くとよく見えるところがあって、「大丈夫だから停めて行っておいで。」とおばあちゃんに言われて出てきていた。
地元の人も集まっている池のそばで、目の前に見える大文字焼きの炎。文字や絵に見える一つ一つの赤い点が大きな松明でできている。
その火が燃えさかり消えていく様を見ながら、空へ還って行くたましいに思いを馳せた。
ひと夏が終わり… いよいよ帰ることになった。
おじいちゃんはまだ入院している。おばあちゃんだけ家に1人残る。
手を振るおばあちゃんと別れるのが、とてもとても名残惜しかった。
車を飛ばし…しばらくしてうちに着いた。
わたしたちが帰った後の静かなしんとした部屋の中を想像するとたまらなくなって、おばあちゃんに電話をかけた。
「大丈夫よ。○○があるから。」
昨日まで一緒に食べていた食材の名前を言った。
1人で台所に立つおばあちゃんのことを思うと、わたしの方がさみしくなってしまった。
おばあちゃんは意外に平気だったみたいだけど…
毎日、台所に立っておばあちゃんと一緒に食事を作った日々。
その時に並べたお皿が、箸置きと同じようにうちに来ている。
お皿を見ると、一瞬で思い出すあの懐かしい日々。
大好きだったおじいちゃんとおばあちゃん。
おじいちゃんおばあちゃんは、空に旅立ってしまったけれど、2人はわたしの心の中の一番大切なところにいる。
あれから一度だけ岩牡蠣を見かけて思わず買ってしまったけれど、あの夏の味には及ばなかった。
あのお店の岩牡蠣が特別美味しかったのかもしれないし、あのひと夏の思い出が、大好きなおばあちゃんと一緒に食べたから、とびきりの味で覚えているのかもしれない。
そんなあの日の景色、あの日の味。
🦪 🦪 🦪
(牡蠣で変換したらマークがありました🤣)
拝啓 あんこぼーろさんの企画に、ふと思い出したのが、この話でした。
このひと夏のことを書こうと思っていたら、あこはるかさんの箸置きの一枚の写真を見て、「ん?」と思いました。
うちにある箸置き。お皿。おじいちゃん。おばあちゃん。あの夏のこと。全てがつながって、懐かしい思い出がわあぁっと頭の中に次から次へとよみがえってきました。
わたしの中ではあんこはるかのお二人だから。笑
2人の企画をnoteでコラボしてみたいなぁ。
同じひと夏くくりで、思い出せるいくつかの記憶を二つの記事に分けて散りばめました。
この2つのnoteが兄弟姉妹のようにくっついて、わたしの思い出は完結します。
大切な思い出を呼び起こすきっかけをいただけて…
ぼーろさん はるかさん
どうもありがとうございました (*^^*)