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ちいちゃんとおいちゃんのものがたり


わたしの心の中には
小さな女の子が住んでいる。

多分、昔のわたしだ。

小さい女の子なので
『ちいちゃん』と呼ぶことにする。




ある日、noteを見ていたら
ちいちゃんが出てきた。



「人はひとりでは生きていけない」


この言葉を読むとちいちゃんは言った。

「あたし、ずっとひとりだった。」

知っている。

ちいちゃんは
ずっとひとりで生きていると思っている。

「そうだね。ちいちゃん。
 でも、生きるためにはご飯食べるよね?
 ご飯はお母さんが作ってくれるでしょ?」

でも、ちいちゃんは譲らない。

「お洋服だって
 お母さんが作ってくれるでしょ?
 ひとりじゃないよね。」

ちいちゃんは悲しそうに
下を向いてしまった。

「ほら。いるかのおいちゃんも
 言ってるよ。」


当たり前すぎてこの前提を忘れる。
お一人様だろうが、ぼっちだろうが、
服を作ってくれる人がいて
それを流通させる人がいて
お米を作る人がいて・・・
いろんな人がいなければ生きていけない。
すまほだって、
設計して材料調達する人がいて製造する人がいて・・・
何より、電気を作って供給する人たちがいなければ
成り立たない。


ちいちゃんは言った。

「むじんとうなら
 ひとりでいきることになる?」

「無人島ねぇ。確かに。
 自分で電気起こして湧き水引いたら
 一人で生きてるかなぁ。

 お友だちと会えなくて
 平気なの?ちいちゃん。」

「だれかひとり
 むじんとうにいてくれたら
 それでいい。」


ちいちゃん。
それ、一人で生きるって言わないよ。。。

ほら、いるかのおいちゃんも言ってるよ。


人はひとりでは生きていけない
それは言い換えれば
人は他人を信用して生きている
ということでもある。
他人を信用することは、
他人を尊重することにつながる・・・はずである。


「たにんをそんちょうってなに?」

「他の人を大切にするってことだよ。」

「だれもちいちゃんのこと
 たいせつにしてくれないのに
 どうしてほかのひと
 たいせつにしないといけないの?」


ちいちゃんの心の底を
少しのぞいた気がした。




2日後。

noteを読んでいると
またちいちゃんが出てきた。




ひとりで生きているわけではない


このフレーズで
ちいちゃんは出てくるみたい。


ひとりで生きるというのは、それこそ無人島で過ごし続けるようなものなんじゃないかと、わたしは思うのであった。


「ねえ。みて!
 ちいちゃんとおなじこといってる。
 いるかのおいちゃんとちいちゃん。
 かんがえてることおんなじ!」


ひとり、とは、心通わないこと。
心に、行き詰まりを感じること。
自由から遠いこと。


「ちいちゃん。ひとり。
 どこにもいけない。」


ちいちゃんは、どこかに
匿われているのかな?


思い出してみる。

確かに、子どもの頃は
《扶養》という檻の中にいたかもしれない。

大人になってからは
《共依存》という鎖に繋がれていたかもしれない。


ひとりとは、何だ。
孤独。
独り、孤立すること。
自分と世界との間に、明らかな隔たりを感じること。


「ちいちゃん。
 確かに、いるかのおいちゃんも
 そう言ってるね。」

「でも、ちいちゃん。
 それは昔の話で、今は
 ちいちゃんは自由なんだよ。」


その後、ちいちゃんとわたしは

無人島でどうやって暮らせば
ひとりで生きていることになるか?

で盛り上がって・・・

いるかのおいちゃんのnoteに
コメントまで書いてしまった。





noteはちゃんと読みましょう。





事実は事実、イルカはイルカ、かもめはかもめ、である。
そして、研ナオコは研ナオコであった。


この部分が
実は本題だったと後で知ることとなる。




その翌日。




人と人との間に架かるような橋は
こんなイメージになるのかな、
と思ってすぐに
こんなに頑丈な橋なら、ちょっと無粋だな、
と思った。


ちいちゃんが言う。

「きのう、あたしといるかのおいちゃんに
 はしかかったよね。
 《むじんとう》ってはしだよ。
 おんなじことかんがえてたもんね。」

「そうだね。ちいちゃん。
 いるかのおいちゃんも書いてたね。」


そうは言ってもですよ、たしかに夢浮橋みたいなものは現実には無いんかもしらんけどね、たとえば上で言うたような人と人との間に架かるような橋を想像したとしてですよ、それが現実に、目で見える橋である必要があるのか、橋がかかるとなったときにおそらくそのひとたちの頭の中、あるいは気持ちとしては
「わかり合えた」
という"勘違い"が同時に双方に生まれてそれはそれでええのやないですか、ねえ。


ちいちゃんは言う。


「これがわかりあえたってことなの?
 あたしといるかのおいちゃんは
 むじんとうでわかりあえたの?」



noteに動画が貼ってあったので
ちいちゃんと一緒に見た。

あかまむし〜
なまたまご〜
昨日の元ネタはこちら。知ってる人は、人生それなりに生きてますね。


「ちいちゃん。どうしよう。
 なまむぎなまごめなまたまご
 じゃなかったみたい。
 勘違いしてコメントに書いちゃった。
 恥ずかしい。」


「ちいちゃんは
 いるかのおいちゃんと
 わかりあえたのはし、かかったけど
 さちは、はしかからなかったね。」


「。。。」



いるかのおいちゃんのnoteは
ひとりで生きていけないことがメインではなく
研ナオコがメインなのではないか?
という疑問については
「わかりあえたの橋がかかった!」と喜んでいるので
ちいちゃんには言わなかった。



いるかのおいちゃんへ

ちいちゃんとは橋がかかったことに
しておいてください。

よろしくお願いします。






あっ!

「ちいちゃん。
 いるかのおいちゃん。
 いるかじゃなくなってる!」

「じゃあ、いるかのおいちゃんじゃなくて
 はこのおいちゃん?」


ん〜。


はこのおいちゃん…ねぇ。

ほんとは
ちゃんとお名前あるけどね。


まぁ。許してもらおっか。
はこのおいちゃんで。




「そうだね。
 はこのおいちゃんだね。」

「ちいちゃん。
 はこのおいちゃんと
 また、はしかかるかなぁ?」

「かかるといいね!」




はこのおいちゃんへ

また、ひとりで生きる話を
たまに書いてください。

ちいちゃん、喜びますので。


よろしくお願いします。



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