サーキットで諦めたこと
月夜のたまさんのnoteを読んだら、感極まって泣いてしまった。
〜夢に執着するすべての人へ。〜
noteの最後のこの一文が、わたしの心の琴線に触れたみたい。
どうして泣いてしまったんだろう?
わたしの理解はいつも心より遅い。
感情(心)が先で、理解(頭)は後。
夢
諦める
この2つのワードに心当たりが湧いてきた。
今日はそのうちの一つについて書いてみようと思う。
***
サーキットで諦めたこと。
彼よりも早く走ること。
自己ベストを更新すること。
そして、優勝すること。
一度だけ。たった一度だけ、彼よりわたしの方が周回タイムが早かったことがある。
7年間で一度だけ。
サーキットに全力を注いだ7年間。その中で一度だけの出来事。
その日、彼は調子がいまいちで、わたしは乗れていた。
得意なホームコース。榛名だ。
風の強い日だったと思う。
いつもの練習日。走っているのは2人だけ。
榛名の平日。バイクの時間に人はいない。
わたしは大好きな高速コーナーで心地よくGを感じながら走っていた。
彼のタイムが上がらない。
「これなら追いつけるかも。」
心の中で思いながら、アクセルをいつもより少し早く、いつもより少し大きく開けていった。
彼とはあまり一緒に走らなかった。
練習の中で、速い人に前を走ってもらうという方法がある。自分より少し速いタイムで引っ張ってもらうのだ。
すると、自分一人ではなかなか入れない少しスピードの上がった世界を体感することができ、それに慣れることで自分一人でもそのタイムを出すことができるようになる。
だから、仲間内で速い子が遅い子を引っ張るのは、サーキットでの思いやり、気遣いだ。
でも、わたしは彼とは一緒に走らなかった。
いつも一緒に練習に行っているのに。平日だと彼と2人きりで走っているのに。
なぜ一緒に走らなかったのか?
彼の背中を見るのが嫌だったから。
彼はわたしにとって正真正銘のライバルだった。
彼はわたしの前を走る時、わたしに合わせて少しスピードを落とす。すると、背中に余裕ができるのだ。
少し余裕のある背中。それを必死に追いかける自分。こんなに必死なのに…こんなにギリギリで走っているのに…なぜ目の前の背中はあんなに余裕があって、流して走っているんだ?
そう思うと、悔しくて悔しくて、走り終わる頃にはいつも怒り心頭に発していた。
「いつも怒り出すから一緒に走るの嫌だ。」
彼はそう言うし、わたしも悔しすぎるのであまり一緒には走らなかった。
目の前にあんなに速くて上手いお手本がいたのだから、怒らずに学べば、わたしももっと速くなったのではないか?と今にして思う。
周回タイムは、コース脇の電子掲示板に大きく表示される。皆、計測器を借りて走るので、走りながら自分で今走ってきた一周のタイムを確認できる。
人のタイムを見ることもできる。
大勢で練習する時、その日一番速い人は、電子掲示板に掲示されるタイムによって明らかになる。
彼とわたしの自己ベストのタイム差は0.4秒。
0.4秒縮めるために、7年間の全てをかけたといってもいい。でも7年走っても0.4秒を縮めることはできなかった。
でもその日だけ。
その日だけ、彼を上回った。
「抜ける!」
コーナー中にバンクしながらアクセルを開け始め、全開近くに保ったまま最終コーナーを立ち上がり、背中を丸めヘルメットがタンクにつくくらい直線で小さく身を縮め…
スタートラインを過ぎた。電光掲示板を見る。
抜いた!彼のタイムを上回った!!
彼とのタイム差は0.1秒。
0.1秒だけわたしの方が速かった。
彼は調子が悪く、風が強くてコンディションも悪く、わたしも自己ベストではなかったけれど。
でも、人生で一度だけ彼のタイムを上回った。練習日にたった一度だけ。
日常で0.1秒を意識することがあるだろうか?
自己ベストが出なくなった日。
あの日、「0.1秒を縮めることに何の意味があるんだろう?」とふと思った。
その日からタイムは更新できなくなった。
バイクを買い替えて、中古のお古から新車に替えてもダメだった。
サーキットで諦めたこと。
それは0.1秒にこだわることだったんだろう。
それを月夜のたまさんのnoteを読んで思い出した。だから、ほとばしる悔しさに涙が溢れ、心の揺さぶりを持て余したんだ。
才能とセンス。努力しても報われない現実。
主人公が転職した先でシャドーボクシングをする姿に、諦め切れない気持ちとサーキットでいつも感じていた悔しさがだぶったんだろう。
0.1秒に心を注ぐ。
でもそれがサーキットの醍醐味だったのかもしれない。