息をするように、気遣いをする人とともに
このnoteは
昔の気持ちを思い出すために書きました。
備忘録です。
わたしはこれから
「離婚しよう!」
と思うたびに
これを読み直そうと思っています。
夫と一緒にいる理由。
一緒に暮らしたいと思った訳。
その根っこに
いつでも立ち帰れるように
忘れないように
書き留めておくことにします。
この備忘録を
noteに書こうと思った理由は2つあります。
ひとつ目は
このnoteを読んでいる人の中で
もしも
離婚を考えている人がいたら…
こんな風に
《一緒に暮らすようになったきっかけ》
を思い出すと
どうしたいのか?が、わかるかも…
と思ったからです。
もう一つは
わたしが
家庭内暴力で辛い目に遭っていると
心配しているかもしれないみなさまに
現状を
別の視点からもお届けしたいと思いました。
楽しい話ではありませんが
よかったら読んでくださいね。
***
夫は気遣いの人だ。
気遣いのできるところがとても素敵で
尊敬している。
いつも
彼と上手くいかないところを
noteに綴ってしまうので
今日は彼の良さを書こうと思う。
夫は
息をするように《気遣い》をする。
そこに
思考は無いと感じる。
思考を挟まない行動とは
どんなものなのか?
ひらめきみたいなもの?
いつ見ても不思議だ。
対して
わたしは
《気遣い》をするのが苦手だ。
《気遣い》とは
相手に
何かすること。
必要なこと?
喜ばれること?
役に立つこと?
何をしたら《気遣い》になるのか。
20歳の時に
大切だった人に言われた言葉。
「気遣いができない。」
「悪気なくやることは
悪気があってやることより
たちが悪いんだよ。」
《気遣い》って何?
父母から教わったことないけど。
悪気なく
わたしは何をやっているんだろう。
それから《気遣い》は
わたしのライフワークになった。
気遣いができる人になりたい。
知らずに人を傷つけてしまう。
そんな人間でいたくない。
どうしたらいいか考えて…
《話す》ことを止めた。
自分が話すと相手が話せない。
相手が話さないと
相手の気持ちがわからない。
話すことを止めてみる。
書くのは簡単だけど
やってみると、とても大変だった。
話したいことがいっぱいあるのに
話さないのは辛かった。
その時
《書く》ことを始めていたら…
また違った未来を
歩んでいたかもしれくないけど。
話すことを止め
相手の話を聞き
相手の気持ちを想像した。
人にはそれぞれ
違った考え方や物差しがあって
性格も違ったりして
話のオチもそれぞれ違った。
自分の体験に照らし合わせて
共感したり
知らない考え方に唸ったり
そうこうしているうちに
相手の性格と
その先の思考が
イメージできるようになった。
そうすると
この人は今、何を必要として
何があると嬉しく思うのか。
なんとなく
わかるようになった。
それを一生懸命考えて
相手のために
何か役に立ちそうなことをすると
とても喜んでくれた。
これが
《気遣い》なのかもしれない。
そう思うようになった。
夫と出会った。
夫は感覚の人だった。
バイクの乗り方を
言語化しない。
取説は見ない。
思考している感じがしない。
「宇宙人と一緒にいるようだ。」
とよく思っていた。
しかし
彼は気遣いができた。
なぜ
わたしの欲しいものがわかるの?
どうして
これが必要になるって知ってたの?
凄いなぁと思った。
気遣いの仕方を学びたいと思った。
一緒にいたいと思った
理由の一つだ。
見ていると
あまり深く思考している感じはしない。
ひらめきで感じ取っている気がする。
でも、いつも完璧だ。
彼が要ると思って買ったものは
いつも必ずその後必要になる。
わたしは
「それ、要るの?」って
その時いつも思うけど
結局、必要になるから
買うものには口を挟まない。
彼の車の中には
何でも、ホントに何でもあって
サーキットでは
「ドラえもんのポケットみたい。」
とよく言われていた。
色んな人が
彼のところに来て
助けてもらっていた。
どんなことも
想定されているかのよう。
どこまで深く思考したら
そんな領域に達するのか。
どうして思考しないで
そこまで気がつくのか。
学びたいと思い
一緒に暮らすようになった。
一緒に暮らしてみたけれど
やはり
あまり考えている感じはしない。
でも、明らかに
わたしより気遣いができている。
不思議。
どうやっているんだろう。
一緒に住んで驚いたこと。
彼に続いて
歯を磨こうと洗面所に行ったら
コップに水を入れて置いてある。
わたしの帰りが遅い時は
家の中のわたしが通る部分は
全て豆電球がつけてある。
わたしが必要になるものは
わたしの通り道に置いてある。
全てがそんな感じだ。
わたしも
「彼のために何かできれば。」
とがんばってみたけれど
思いつくまでにかかる時間が長すぎて
毎日が考えるだけで精一杯になって
疲れてしまった。
わたしは気遣いをする時に
気を張っていないとできない。
一生懸命考えないと
思いつかないから。
だから
家の中で気遣いをするのは
心が休まらなくて
だんだん疲れが溜まっていった。
ある日、たまらなくなって
「お互い、気遣うのは止めようよ。
自分のことは自分ですれば良くない?」
と言った。言ってしまった。
その言葉を聞いた時の
彼の悲しそうな顔。
その顔を今でも覚えている。
それから彼は
わたしに気遣いをしなくなった。
気遣いをしないように
がんばるようになった。
何もしなくなると
彼の良さは消えてしまった。
ただの人になってしまった。
そうか。
気遣いのできるところが
彼の良さだったのに。
それを封じ込めてしまった。
わたしはようやく
家の中でくつろげるようになった。
でも
気遣いをする彼を
いいなと思っていたのに。
しなくなった彼は
彼じゃないみたい。
わたしは彼の良さを
消してしまっているのかな?
彼が
「家で気遣いをしない」
という無理をしているような気がして
そのことも
「一緒にいることに意味があるのかな?」
と思う要因になった。
結婚15年くらいの頃
そんな感じだったと思う。
わたしは彼と一緒にいる未来を
諦めてしまった。
子どもが巣立ったら
別れよう。
そう思うようになった。
その頃
彼の会社のパワハラがひどくなり
会社でも彼の細やかな気遣いは
過剰品質という名で糾弾され続けた。
彼はおかしくなっていった。
わたしは
彼の会社の話を聞きながら
色んなアドバイスをした。
それでも状況は悪くなるばかり。
部下を減らされ、一人になり
仕事を取られ、窓際に追いやられ
最後は左遷の憂き目に遭った。
その後の話は何度か書いていて…
なんとか説得して
会社を辞めてもらい
今の会社に転職した。
去年
わたしはうつ病を発症した。
「ゴミ屋敷で孤独死したい。」
そんな妄想に取り憑かれて
消えることばかり考えるようになった。
去年は
結婚20周年だった。
一年
色んなことがあり
彼と
もう一度会話を始めた。
わたしは
消えてしまうことを止め
現実世界で生きていこうと決めた。
彼は最近
家で止めたはずの気遣いをして
家族にその気遣いをふいにされ
そうして
本当に怒ってしまい…
今、悲しい気持ちでいる。
二度と準備はしない。
二度と…
川の活動に行く時に
わたしの準備が遅れて
あんなに怒って
行くのを止めてしまったのは
気遣いを
わたしに踏みにじられたからなのかもしれない。
そう気がついた。
息子も
彼の準備をふいにして
先日
出かけなかったことがあり
彼は
また怒った。
あいつはダメだ。
あいつとは
二度と一緒に出かけない。
息子は皮膚炎に苦しんでいて
痒くて寝られない日が続き
その日の朝
起きることができなかった。
ようやく起きてきた息子に
父が出かけるためにしていた気遣いについて
詳しく説明してみた。
「行きたくなかったわけじゃない!」
息子は当初怒り狂って
台所に置いていたゴミのビン缶を蹴り
ひどい音と共に
ビン缶は飛び散ったけど
その後、伝えたかったことは
わかってもらえたようで
「明日、同じところに行こう!」
と父に声をかけて仲直りをした。
息子のことを
「偉いなぁ!」と思った。感心した。
夫は人のために何かする時
とても嬉しそうにしている。
彼にとって
気遣いをすることは
息をすることと同じなのかもしれない。
そう思った。
「正反対なのに、よく一緒にいるね。」
娘が言う。
「そこがいいなと思ったから。
わたしには無いところだから。」
「なるほどね。」
気遣いができる人だから
一緒にいたいと思ったんだった。
その細やかな配慮には
人を救うヒントがたくさん隠れているから。
共に暮らすようになって
21年目。
スタート地点に戻ったつもりで
また気遣いをし合って生きてみよう。
ホッとする時間は
お互い好きなことをしている時に。
オンオフで切り替えよう。
子どもたちには
仲直りの方法を学んでもらおう。
正反対の2人がぶつかる度に
どうやって仲直りをして
また一緒にやっていくのかを。
そうやって
色んな人と関わり合っていくのだと。
家の中で学んでもらおう。
わたしは
自分のスペースを
好きなものだけで埋め尽くして
心癒せる空間にしていくつもり。
彼にもあの部屋を
自由に使ってもらおう。
イメージはシェアハウス。
お互いのスペースは
干渉しない。
食事は共にする。
一緒に行く方が楽しい時は
一緒に出かける。
家の共有部分は
スッキリさせておく。
助け合う。
話し合う。
認め合えたら最高だ。
子どもが
巣立つまでは4人一緒に。
8年後
巣立った後に
どうして行くかは
これからの8年次第で。
夫にもそう伝えた。
20歳の時に
悪気なく人を傷つけていたわたしが
今は外では
《気遣いのできる人》
と思われている。
この何十年かの
努力の賜物だ。
気持ちを切り替えれば
8年後には
わたしも息をするように
気遣いができるように
なっているかもしれない。
彼から学ぼうと思う。
せっかく一緒にいるのだから。
新たな一歩を踏み出そう。
8年後も一緒に暮らせるように。
追記 :
「仕事を辞めて主夫になりたい?」
彼に聞いてみた。
「今の働き方がずっとできるなら
辞めなくてもいい。」
リモートなら…ということみたい。
そこで
わたしは気がついた。
ずっと
彼が家にいるから
息を抜く間が無いのかな?
家にいても
落ち着かないのかな?
前は会社に行ったら
帰って来るまでは
家にいなかったから
洗い物は後でして
ちょっと休もう。とか
先にピアノ弾いてから
洗濯物を干そう。とか
自分のペースで
家事をやっていたけど
今は
先に片付けてから休む。
家事が終わってから
ピアノを弾く。
みたいな
ルーティンになっている。
それが
気づかないうちに
家の中で常に
気を張っている要因に
なっていたのかも。
そんなことにも気づけた。
新たな生活リズムを
工夫しながら
家族みんなで暮らしていきたい。