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わたしにとってのピアノ
7月に夜の富士山にバイクで行った時に
手を痛めてしまった。
暗くて力が入りすぎたんだと思う。
手の凝りが取れなくなって
ピアノを弾くと、肘にかけて筋が強張る。
結局、弾くと悪くなることがわかり
とうとう1週間ほど弾くのを止めて
それからは1日に一曲、一回だけ弾く。
そんな短時間からリハビリを始める。
5分で手が痛くなってくる。
次の日は休む。
その次の日にまた恐る恐る弾く。
結局、弾かないのが一番治りが早いのだけど
バイクに乗れない、ピアノも弾けないだと
生きてる気がしない。
だんだん生きてる意味がわからなくなってくる。
これは、うつの思考なんだけど
うつ病が再発したつもりではないんだけど…
ああ。同じ思考だなぁ。
しみじみ思う。懐かしいような思考だ。
気持ちが落ちてきたら、単純作業を始める。
わたしの場合は、洗濯物たたみと皿洗い。
無心に手を動かす。
生きる意味 = 生きがい のことは
一旦思考の外に追いやる。
そして、深く息をする。
ピアノは、練習が一回でも楽しめる
初級楽譜に戻し、楽譜も一冊買う。
でも、楽しめない。
今の気分は
弾けなかった楽譜を弾きこなしたい!
というモードなんだ。
少し前に、頭にくり返し流れた曲があった。
それが『愛し君へ』。
これは、昔、ドラマで流れていた曲。
カメラマンが好きな人と恋人になるんだけど
失明してしまうお話。
彼の視点で、映像が流れる。
視野が周りからだんだん暗くなる。
中心だけ残る見えている世界で
最後に恋人が微笑む。
その笑顔がスーッと
シャッターが静かに閉じるように消え
目の前は暗闇だけになる。
失明すると
こんなふうに見えなくなっていくのかな。
いつか、わたしもこんなふうに
見えなくなるのかな。
最近、さらに視野が狭くなっている気がして
目薬を差しているのに
緑内障が進行している気がして
それで、この曲を思い出したんだろうか。
弾きたいと思い、楽譜を探した。
楽譜は一つだけ見つかった。
上級者用の楽譜だった。
弾いてみたい。
手が痛くなってしまうので
何度も弾けないのに
この曲を弾きたいという気持ちが
どうしても抑えられない。
他の曲は弾かずに、この曲だけを弾く。
1日1回。時々2回。
上級楽譜だからオクターブが多く
小指も痛くなってしまう。
手の痛みが減ってきた今でも
1日に2回弾くのが限度だ。
どんなふうに難しいのか?
右手で伴奏を手伝っているのだ。
和音を右手で弾いている。
メロディを弾きつつ、和音を刻む。
同じ右手で、音の強さを変える。
昔、怪我をして力が入れられない小指で
メロディを響かせる。
そのため、2回弾くと小指が痛くなる。
何度も止めようと思った。
無理だと。
昨日、ふと何気なく録ってみた。
それを今朝、聴いてみた。
ああ。諦めなくてよかった。
ここまで弾けるようになっている。
今月は、手を休めるために
ピアノライブをお休みした。
いつもの第3日曜日。
ライブができない自分がもどかしくて
この曲も仕上がりそうになくて
気持ちが沈むのを止められなかった。
そんな先々週の土日が過ぎ
毎日を淡々と過ごし
諦めきれずに2日に一度ほど
この曲を練習して…
そして、今。
諦めなくてよかったとしみじみ思いながら
自分の音源を聴いている。
ようやくここまで来た。
後は、音を外さずに弾けるようになれば…
曲を、聴けるレベルまでもっていくのが大変。
先の見えない辛抱のいる作業だ。
今はそこに、苦しいながらも
楽しみを見いだしている。
だから、初級じゃない楽譜を
弾きたいと思っているんだろう。
ピアノの調律をしてもらった。
音の響きが変わり
ペダルの踏み音がようやく消えた。
希少な、本当にいいピアノですね。
ご両親は、当時、一番いいピアノを
買ってくださったんだと思います。
調律師さんが褒めてくれた。
貧乏で質素な暮らしをしていた両親が
わたしのために買ってくれたもの。
ピアノは100年でも使えます。
使えなくなるということがないんです。
このピアノは
両親からわたしへの
精一杯の愛情なのかもしれない。
とふと思った。
父母に守られているような
温かい気持ちになった。