知ってほしい。同じ名前の人がいることを…
寝られなくてnoteを書いています。
noteのことで悩んでいるけれど
noteをやっていることは誰も知らないので
noteの中の人に相談するしかないのです。
少し前、ある人のnoteを読んで
コメントを書こうとしたら
すでにわたしがコメントを書いていました。
「えっ?」ってなって
そこはかとない不安が押し寄せてきました。
わたしが…いる?
すでに?
コメント欄に?
しばらく放心したように
そのコメントを見つめてしまいました。
意識が戻ってくると
そのコメントの人がわたしなのか
わたしじゃない人なのか
確認をし始めました。
アイコンの写真は違います。
「名前が同じ、別の人なんだ・・・」
その人のアイコンにそっと触れてみました。
わたしと同じ名前のnoteが開きました。
わたしのnoteとは異なる言葉が並んでいます。
「違う人なんだ・・・」
でも、不安は消えません。
なぜだろう?と考えました。
もう一度、コメント欄に戻りました。
じっと見ます。
はっ!と気づきました。
テイスト(文の雰囲気)が似ているのです。
不安はそこから来ているとわかりました。
ドッペルゲンガーって知ってますか?
(説明を入れようとしてネットを読んだら
知っていた話より怖い話で、すぐ読むの
止めて、ここに戻ってきて、今部屋に
一人でいることが怖くて震えています)
自分がもう一人いるみたいな感覚なのです。
文章って人柄が出ますよね。
元気な時のわたし(元気に見せていると
言った方が正しいのか、素のわたしなのか
自分でもまだよくわかっていないのですが)
の雰囲気に似ているのです。
わたしの雰囲気に似ている
わたしの名前と同じ人が
わたしが書きそうなコメントを
書いている
この不安がわかるでしょうか?
映画によくある
自分のデータを乗っ取られたような
別の人が自分に入ってしまったような
パラレルワールドから
別の世界で並行して暮らしていたわたしが
同じ世界に来てしまったような
わたしが書きそうなことが
すでに書かれているコメント欄を
見つめるわたし
別の人
わたしとは違う人が書いているコメント
そう自分に言い聞かせて
ざわめく心を落ち着かせて
次に不安になったのは
「他の人も間違えないか?」でした。
わたしが間違えそうになるんですもの。
皆さん勘違いされるんじゃないかな?
「そのコメント。わたしじゃないんです!」
って同じ名前の人がいるコメント欄に
わたしが書くの?
そもそも、どっちかが本物で
どっちかがニセモノとかあるの?
もう一度、その人のアイコンを触りました。
その人のnoteの
一番初めまで遡ってみました。
もし、わたしの方が後から『さち』と
名乗っていたら
わたしは名前を変えないと
いけないかもしれない。
そう思ったからです。
その方は、今年からnoteを始めていました。
わたしが後から同じ名前をつけてしまった
わけではないようでホッとしました。
noteの世界に先輩後輩はありません。
「後からnoteに来たんだから
あなた、名前変えてください」
とは言えません。
じゃあ、わたしが名前を変えるの?
わたしの名前には意味がありました。
簡単に変えられる名前では
ありませんでした。
同じ名前で行くしかないのかな?
そのうち、コメント欄に
明らかにわたしと間違えているコメントが
書き込まれました。
「やっぱり!」
本人が不安になるほど
似ている感じがするコメントですから
他の人が間違えるのは当たり前です。
思いつく方法で必死に
コメントを返していた人に
「それはわたしではありません」
と伝えました。
そのコメントはわたしではないと
その人には気づいてもらったけれど・・・
今後、どうしていったらいいのか。
心が澱んでいきました。
わたしはパーソナルスペースが広めです。
自分の周りの空間を
人とのキョリを広めに取ることで
安心することができます。
(おそらくHSPだからだと思います)
そして、自分のテリトリーを
とても大切にしています。
例えばnoteでは
スキの数、フォロワー数は
気にしていません。
大切にしているのは
その時書いたnoteが
誰かに向けたものであったなら
その人に届いたかどうか?
(たった一人に書くこともあります)
そして
信頼できると思えた人と
コメントでやり取りすることを
心から楽しみにしています。
とても用心深いところがあるので
(天真爛漫な素の部分もありますが)
信頼できると思えた人にしか
コメントが書けません。
また、noteでは
世界を狭く、小さな空間にして
大切な人たちと
過ごしていけたらと思っています。
なぜなら
noteには本音を綴っていきたいからです。
わたしは
エッセイという言葉の意味を
noteで初めて知りました。
わたしはnoteには
本心しか書かないので
そこにフィクションが入ることが
あることを知って
ものすごく驚きました。
noteはみんな自分のことを
書いていると思っていたからです。
だから、例えば
ある人の話が経験に基づいた
フィクションだったことを知った時に
「この人の話はその人の過去なのか
小説として書かれているのか」を
毎回、どちらか確かめながら
読むことはとてもできないと思い
心情を語る人のnoteしか
読まなくなってしまいました。
(小説と最初からわかるものは大好きです)
同じ名前の人が現れたことで
狭いテリトリーの中に
入ってこられたような
自分のパーソナルスペースに
踏み込まれたような
そんなショックが不安として
心の中で吹き荒れたのだと思います。
これからも同じコメント欄で
出会うかもしれない…
そう思っていたら
今日(昨日ですね)寝る前に
読んでいたnoteのコメント欄で
また同じ名前の人を見かけました。
またわたしと間違えたらどうしよう?
色々考え、その記事の人に
お手紙を書くことにして
文章を一生懸命考えているうちに・・・
その記事の人がコメント欄に
わたしと間違えずに返信していました。
同じ名前でも見分けてもらえるんだ。
とてもホッとした気持ちで
書きかけていたお手紙を消しました。
そのあと
他の人のまだ読んでいないnoteを読んだら
またコメント欄に同じ名前の人が
コメントを書いていました。
そのnoteの人は
初めわたしだと思って
間違えて返信していましたが
すぐに気がついてくれました。
同じ名前でも
違う人だってわかってもらえた。
またホッとしました。
それでも
コメントの雰囲気は似ています。
(本人が似ていると言うのだから本当です)
わたしはこれから
コメント欄で同じ名前を見かけるたびに
「この記事の人は、このコメントを
わたしと間違えないかな?」
と、心配しなければならないことは
とても負担なことだと思いました。
楽しみにしているnoteのコメント欄を
恐る恐るのぞく毎日は嫌だ!と思いました。
同じ名前の人が
先にコメントしていたら
混乱しないように
わたしはコメントをしないようにする。
そんな配慮をしようと思っていましたが…
もし、わたしの狭い世界の
noteの人たちが全て
もう一人の同じ名前の人と
かぶってしまったら
わたしは、もう二度と
コメントが書けなくなるの?
それは嫌だ!
それは悲しすぎる。
そう思ったので
書きたいコメントは書いていこう。
(元々とても勇気を出さないと
コメントできないので
もっと勇気をふりしぼって)
その記事の人が勘違いしないように
後からわたしがコメントをする時は
「◯◯のさちです」
(例えば、干しいも部の〜とか
バイク乗りの〜とか)
名前の頭に何かつけてコメントすれば
みんな間違えずに済むかな?
などと考えているところです。
本当は
テリトリーが荒らされているようで怖い。
noteは本音を書くところだと思っているので
書きますが、怖い。
これは決して同じ名前の人を
非難したり悪口を言ったり
しているわけではなくて
心の動揺を言葉に綴って
落ち着かせたくて書いているだけです。
でも実際寝られなくなってしまうほど
わたしにとっては大きな不安のようで
これはひるがえすと
noteはわたしにとって
これほどかけがえのないものに
なっているのだなぁと
つくづく実感したのでした。
わたしのアイコンは茶色です。
茶色の床に寝ている茶色いピースです。
拾ったばかりの頃のピース。
森に捨てられていたピース。
安心して床で眠ってしまった幼い頃のピース。
左を向いています・・・
同じ名前でもわたしじゃないコメントが
これからあるかもしれません。
近いキョリに同じ名前で2人いるということを
知ってもらいたくてこのnoteを書きました。
あまりにも「わかりにくい!」と思ったら
ある日突然名前を変えるかもしれませんが…
ご縁あって
関わってくださっているみなさま。
これからも、どうぞよろしくお願いします。