色んな気持ちを空に放って
やさしいピアノホームソングス
見上げてごらん夜の星を 坂本九
作詞 永六輔
作曲 いずみたく
編曲 森信隆
古い楽譜本を出してきた。
昔のフォークソングなのかな。
弾くと知ってる曲もある。
つい…一冊全部弾いてしまった。
夜、お風呂に入ったら
腰が伸びなくなってしまった。
ピアノのせいなのか
接骨院の施術の後反応なのか。
あーあ。
せっかく自転車乗れるようになったのに。
でも
今朝は治ってた。よかった。
楽譜本を弾いてみると面白い。
伴奏が古めかしいと思った。
アレンジがね。
今と少し違うの。
どう違うって上手く言えないんだけどね。
今のアレンジなら
どんなふうに変わるのかな?って
思ったんだけど
アレンジセンスがまだないから
変えて弾くとかできない。
来年はできるように
なってたりしないかな。
再来年でもいいんだけど。
毎日ピアノを録音してるから
アレンジが古めかしいことにも
気づけたのかもしれない。
そう思うと
無駄なことなんてないなと思う。
昨日は小説について
思ったことを
一生懸命まとめて書いたけど
文章の怖いところは
どこか一部分を切り取って
そこだけでニュアンスを捉えて
そのことが文章の全てだと
勘違いされてしまうこと
そうならないように
気をつけて気をつけて書いたけど…
傷ついている人がいるんじゃないか
落ち込んでしまった人がいるんじゃないか
気になった人がいるんじゃないか
そう思うと
投稿した後、落ち着いていられなかった。
それもあって
楽譜本を一冊弾いてしまったんだろう。
そう思う。
書くことは怖い。
特にエッセイは
心のうちを晒すから怖い。
今回、小説を書いて
特にそう思った。
小説は
小説のどこにどんな思いを込めても
読み取る人によって
全く違う解釈になるから
気持ち的にはいくぶん楽だ。
メイキングがなかったら
なぜ明るい灯りを書かなかったのか
理由もわからなかっただろう。
だから
昨日のエッセイを書いたんだけど。
1,200字では
伝えきれなかった思い。
死をマイナスに思う風潮と
死をなかったことにしようと思う無意識
死を肯定するつもりはないけど
死はわたしたちと共にあって
誰もが避けて通れないもの。
5歳で逝ったあの子は
自分が生きた意味なんて
考えもせずに逝ってしまったと思うけど
残された者が忘れない限り
心に灯りを灯し続ける。
この歌を歌っていた坂本九さん。
彼もこうして今も
わたしたちに灯りを届けている。
意味のない生なんてない。
そう伝えたかった。
翻って今。
生きてここにいる人たち全てが
ここにいることに意味があり
ただいるだけで意味を為している。
生きている意味のない人なんて
いない。いないんだ。
昨日のエッセイを書いて
自分の頭の中で整理されたことがあった。
じぶんの無意識の気持ちに気づけた。
認めてもらいたい。
そう思っていたんだ。
受賞や講評に
その思いを懸けてしまったんだ。
昔、両親に願っていた思い。
一度でいい。
わたしを認めてほしい。
一度でいい。
褒めてほしい。
ずっと思っていた。
ずっとずっと。
生きている意味を知りたかった。
わたしの存在価値。
そっかって思った。
だから、こんなに心ざわついたのか。
気づけた今。
わたしは冷静に戻れている。
反対に、わたしのnoteを読んで
心ざわついた人がいたのではないか
という心配が
今も頭から離れない。
そう思うと
書いたことが正しかったのか
書かない方がよかったのか
今でも悩む面もある。
でも伝えたかった思い。
感謝の気持ち。
逝ってしまったあの子のこと。
色々あっても
上を向いて歩けと
そう無意識に思っているから
この曲を選ぶのかと
やっぱりいつも
ピアノに助けられているのは
わたしじゃないかと
そう思ったのだった。
わたしは
わたしのできることをする。
今までも
これからも。