よく似た日豪の過去への向き合い方 「赦すvs水に流す」
X(旧ツィッター)の会話スペースで、南京大虐殺の被害者数に疑問を呈しましたら、「加害者側がそんなことを言ってはならない」と口々に言われ驚きました。被害者は加害者の発言を鵜呑みにしろと?という事は、被害者はどれだけ嘘を言っても良いことになってしまいませんか? 例えば泥棒に入られた被害者が「あれもこれもそれもこれも盗まれた!壊された!」と被害を増やして主張しても加害者は全て認めなくてはならないと言うのはおかしな話。嘘や誇張は指摘していいはずです、歴史なのですから事実が大事です。
そんな様なことを主張しましたらなぜか「南京大虐殺」の話題が持ち出され、例の如く「南京大虐殺否定論者」と思われてしまったようでしたが、違います。そもそも私は「軍隊が他国に行って何も問題を起こさない訳がない」と言う考え方をしています。それは別に日本軍が特別悪いと言っているわけではなく、若い男性が集団で生き死にに関わる目に遭えば、どうしても暴力的になったり、種を残そうとして性欲が高まるのは生物として自然な事だからです。つまり旧日本軍を清廉潔白とも思わなければ、極悪軍隊とも思っていません。ただ数字がおかしい、南京大虐殺の犠牲者数が40万人は物理的に無理だろう、、、と言っているだけです、数値は正確に。
重ねて言いますが、私はいわゆる「日本軍無罪を主張す歴史修正主義者」ではありません。むししろ私は日本軍の攻撃による被害者の数を増やそうとしています、その意味では歴史修正主義者かも知れません。例えばオーストラリアのダーウィンでは空爆を受けていて、その被害者が250人だと思っている人が多いのですが、しかしそれは初日の攻撃のみの被害者。実は二年間にわたって攻撃を受けて亡くなった人は1000人以上であると事あるごとに訂正しています。いやそれどころか、当時アボリジニの人たちは人間としてカウントされていなかったので、もっと多い可能性もあるので調査が必要では?と常日頃色んなところで問いかけております。
何年か前に自衛隊がダーウィンにやって来て慰霊塔に献花を行う時の挨拶にも口を出しまして、変更依頼しましたし、日本のテレビや新聞の取材の時にも必ず総数を伝えています。更には、日本とオーストラリアの戦史を日本の歴史教科書に載せようとロビー活動をしている身ですので、「日本の加害の歴史を隠そうとしている」と言う批判は全く当たらないと思いますよ。そのせいで、右派から「日本の加害の歴史を広めている!」と怒られる始末、右からも左からも責められて辛いですよ。
さて、話を元に戻して、なぜ正確な数にこだわるかと言うと、これには理由があります。オーストラリアの戦争の歴史への向き合い方が、「Forgive but not forget 赦すけれど忘れない」と言うスタンスに倣っているからです。
歴史の事実は伝える、しかしかつての敵を許すことを難しくするような話は積極的には伝えない、と言うのは心の健康の為にとても良い方法だと思います。その為にはどうすればいいかと言うと、数字は正確に、例えば犠牲者の数や攻撃回数や日時を正確に伝える、しかしながら感情的になるようなもの、特にネガティブなものはサラッと。しかしこれが逆だとどうなるでしょう。数字は適当に、しかし敵国から受けた仕打ちは感情たっぷりに伝える。残るのは恨みつらみだけですね。もともと陽気なオーストラリア人の性格にはなじまない。
この、事実だけを伝えて恨みを持たせないやり方はオーストラリア人の教育にも良く表れています。自国の為に戦った人への敬意を持たせるために戦いの歴史を伝える、しかしかつての敵国への恨みを若い世代に持たせないように、オーストラリアの先生たちは注意深く教えているようです。だからオーストラリアの若者は戦争の歴史は知っているけれども日本は恨んでいないようです。
日本も災害が多いからでしょうか、同じようなやり方で歴史を伝えています。ありとあらゆる自然災害に見舞われる我が国は、予防に必要な警告を伝えるために記録を残し、そして悲しい過去は水に流す、と言うのが健全な心を保つのに最も適していると学んだのでしょう。教訓は残し、感情は残さない。言い回しは違うものの、日豪両国同じスタンスなのですよ。
だからオーストラリアとはきちんと戦争の話が出来るのだと思っています。私も良くダーウィンの潜水艦や空爆の話や、カウラの大脱走、シドニーの特殊潜航艇の話などをしております。ここでは話題がずれるので詳しくは書きませんが、よかったら検索してみてください、良い話が沢山あるのです。このように私の興味関心分野は人間の心理的なものなので、武器や飛行機など軍事的な話にはあまり詳しくない。一方こちらの歴史家や研究家の方たちは皆さん男性なのでやはりそういう話もしたいらしく、私では物足りないのだろうな~と思いつつ適当に話を合わせております。しかし日本から歴史研究家や軍事研究科の方がダーウィンに来たらきっと会話が弾むことでしょう。かつての敵味方が、心のわだかまりなく過去の戦いについて話し合える場所と言うのは珍しいのではないかと思います。是非訪れてみてください。
両国の人間の和解の努力により、恨みも罪悪感も無く、そして被害者も加害者もない対等な関係を築いているのが素晴らしいと思います。一方、前述したような「加害側が被害者数に疑問を呈したら相手がどう思うか、、、」と心配してしまうのはとても卑屈な態度であり、対等の立場ではありません。これでは歴史にきちんと向き合う事も出来ないし、ましてや未来へ進むこともできません。
「日本は悪いことをしたのだからただひたすら相手の言い分を受け入れ、謝罪し続けなければならない」と思っている日本人の方や、恨みを原動力としている国の人たちも、日本式の「記録だけ残して水に流す」、またはオーストラリア式の「赦すけれど忘れない」のどちらかの方法を採用して、前向きに進んでもらいたいものですね。