黒文字やにて②
「そうよね、あった、あった。今はさ、綺麗なマンションでさ、おしゃれなインテリアとか色々してさ、快適な空調環境とかでいいらしいわよ。子どもたちだって、部屋の中で快適に遊ばせることを親も望んでいるみたいだし。そういうのが今の人達の良さっていうか、そういうのがいいかもしれないんだけどさ、何かね、どうかと思うよね。ま、幸せの形は変わるんだけどさ。」
へえ。この年代で、幸せの形は人それぞれって口にできる人を初めて見たなあ。どうやってその考え方を身に付けたんだろうか。
「そうねえ。でも、私は、昔みたいに、あばら屋でも近所みんなと声を掛け合って、賑やかにやっていた時の方が好きだわ。そっちの方が私の、何ていうの、性格に合うっていうか。」
と、金色のアディダスを履き、全体的に若いトレンドを醸し出しているご夫人がさらに続ける。
「ほら、晩御飯とかも近所で食べさせてもらったりしたじゃない?」
「え、それは(私には)無かったわ。」
と、白髪を品よくまとめた、雑誌ハルメクで取り上げられそうなご夫人。
アディダスのご夫人(以下、アディダス)
「あ、そう?(笑) そうだった?小麦粉をさ、こうこねて丸めて焼いたものをさ、いただいてたのよ。」
ハルメクのご夫人(以下、ハルメク)
「ああ、ああ!そうね、今思い出した。あったわね、そういうの。たいそうな物じゃないのよね。そういうものを夕飯時に近所の家で食べさせてもらったことがあったわ。」
でしょう?とアディダスのご夫人が相づちを打つ。
そこで無いなら無いって言うんやね。ハルメクのご夫人、言える人なんだ。日本社会で長く生きてきたおばちゃんトークだったら、そのまま頷くことも多かろうに。ハルメクのご夫人、なんか(私と)合いそうだ。くくく(笑)。面白くなってきた。聞いていない振りをして、内心、私も会話にチャチャを入れずにはいられない。
ハルメク
「そういうのが幸せって感じだった。今は、庭がくっついてる家は少ないわね。家があって、すぐ目の前が駐車場。草花や虫とか、そんなものを感じられない家ばかり。家の中で観葉植物とかを育ててるらしいわよ。」
昔のご近所付き合いが今と比べ物にならないくらい親密だったのはよく言われとるけど、生の声を聞いたことはなかったな。本当にそうなんだあ。そのご近所とは親しくなるタイミングとかあったとやろか。もうちょっと聞きたいなあ。なんか、話しが変わった気がするけど。まあ、いっか。
アディダス
「世話しないでいいやつ?水だけやって、ほったらかしといていいやつでしょ?それってどうなのよね。子どもの情操教育はどうやってやるのかしら。」
ハルメク
「それでいいわけ?と思っちゃうわよね。ま、幸せは人それぞれだからね。でも、私は最近草花を少し増やしてるのよ。NHKの再放送でね、イギリスの田舎で、ご近所同士で庭に草花を植えて、動物とか虫とかに来てもらおうとしている人達の番組があったのよ。ドキュメンタリーみたいなね。綺麗にやっててさ、狐とか来るの。そう、野生のよ。それを見て、私もいいなと思ってね。それで、庭にちょっと鉢とかを増やしてみてね。そしたら、虫とかが寄ってきて、綺麗だと思うのよ。ううん。そんな立派に庭をしてるんじゃなくて、ちょっとした草花をそのままにしてたりするんだけどね。ドクダミとかが生えてきたりして。昔を思い出して楽しくなってきたから、続けて世話していこうと思ってるの。」
なるほど、ハルメクマダムは自分でやってみとるったい。ただ苦言を呈するだけじゃなくて。言うだけの人はよく見るけど、自分で実践してみせる人は、年代問わずなかなかおらんよね。そんで、実践して気づきも得てるし。このご夫人、ただのマダムではなかごたね。それに、幸せは人それぞれってまた言っとる(笑)。なんか言い聞かせてるみたいなんだけど?気のせいか。
アディダス
「あら、いいわね。私もそういうの思って、バラを育ててるの、知ってるでしょ?」
草花から突如現れたバラに耳を持っていかれたところで、パフェが来た。たばこの臭いが落ち着いたなと思って男性客に目を向けると、男性客はランチに夢中である。写真で見ていたよりアイスがそれぞれ一回り大きい。写真では盛られていなかったミカンまで盛られている。さっきカレーを食べたばかりなのに大丈夫だろうか。とりあえずミカンを一切れ口に放り込んで、またご夫人たちのおしゃべりに耳を傾けた。