石を投げる(劇団あしからず。特別公演)
劇団あしからず。
特別公演「石を投げる」
キャスト:小林大斗
11/29(金)〜12/1(日)
@池袋 木星劇場
11/29(金)19:00 & 12/1(日)17:00
作品にまつわる感想群
※まとまらない感情を叫んだだけの記録です
11/29(金)19:00編
まず開場して入った瞬間に視界に飛び込んだ、男(小林大斗さん)の姿。
本当にびっくりしてしまって、一気に感情がめちゃくちゃになって、涙を浮かべながら席について荷物を整理した記憶があります。しばらく舞台のほうを見ることができませんでした。心の準備ができていなさすぎて(完全に袖とかがあると思い込んでいた、会場の写真とかしっかり確認していたはずなのに)居る、という事実に耐えられず……。
あとから考えると既に作品は始まっていて、心の整理に時間が必要だったとは言え、それを観ない時間があったのはとても勿体無かったと少しだけ後悔しました。
それでも意を決して舞台のほうへ目を向けると、不思議と心が凪いだようになったのを覚えています。
なんとなく「居る」という実感から「観ている」という感覚に変わったのかな、と。
舞台と客席の物理的距離はとても近く遮るものもなにもありませんでしたが、そこには見えない隔たりが存在していたように感じました。だからこそ落ち着いた状態で観劇できたのではないかと勝手に想像しています。
そうして男のことを観ていると、男は時折場所を変えながらよくわからない動きを続けていました。
男は白いシャツにグレーのパンツ姿で、裸足。舞台にあったのは、上手奥になにも映っていないテレビ、上手手前に液体(水?)の入った小さな黒いバケツ、中央に木製と思しき椅子、下手奥に人間を模したようなオブジェ、でした。
男は舞台の奥にある段差に軽く腰掛けてやけに楽しそうに虚空を見つめたり、足でなにかを書いていたり、人間のオブジェの腕の裾をひっぱってみたり、バケツの水をちょんちょん叩いては飲んでみたり、体育座りをしてテレビを見たり、さまざまな動きを続けていましたがどれも不思議で、子どもっぽいという印象でした。いま考えてみるとあの動きは男の心象風景の一部分だったのだろうかとも思いますが、正直よくわかっていません。
男を観ているうちに開演時間が近づき、アナウンスが流れる。一度目のアナウンスのとき、男がアナウンスに合わせて頷くような会釈をするような動きをしていたことがやけに頭に残っています。二度目のアナウンスのときは無反応……だったような。
それから二度目のアナウンスのあと、空調(換気扇?)も止まり音が消え、ふ、と照明が明るくなって。少し記憶が曖昧ですが、それでも男はすぐに様子を変えるでもなく。一言目を発するまでの刹那の緊張感の高まりと、あ、始まる、というわずかな高揚が私の中にあり、思わず息を呑んだ覚えがあります。
「なんだか胸騒ぎがする」
「今から僕が話すことは、どれも信じる必要のないことです」
「だけどそれと同時に、今から話すことは全て、信じるに値することでもある。そう思います」
男は誰かに語りかけるような口調で、しかし視線の先には虚空のみがあり。観たその瞬間は特になにも思わなかったのですが(内容を知らない状態での冒頭のシーンなので当然といえば当然)、いま振り返ると背筋が寒くなりますね。
「それでは始めます」
その言葉と同時に男は椅子に座り、そこに照明が当たる。男は自分の内面のことをつらつらと述べていく。落ち着いた柔らかい口調になったかと思えば不機嫌な子どものような口調になる。表情もくるくる変え、椅子に座りながらも腕も手も脚も足も動かして、それぞれ別の考えを持ったたくさんの自分がいる、ということを表現する。
そう、表情もすぐに変わってしまう上に手足もすべて使っているということは、目が足りないということです(?)。その時点で既に見逃したくない箇所が多すぎました。全体をぼんやり捉えると繊細な表現を見逃しそうで、やっぱりおおよそ一箇所しか観られない。
本当に配信付きチケットにして良かったです。
「だから僕は石を投げたのである」
男は自己の内面の話から他者からの評価の話へと話題を移し、そして愚かで窮屈な人間を一度だけ好きになった、というところでこの舞台の題目である「石を投げる」という言葉が出てきました。
このとき私は「石を投げるというのは抽象的な言い回しで、一石を投じるだとか(これも今思うとよくわかりませんが……)そういう意味の別の行為を指しているのかな」と考えた記憶があります。中盤で判明しますが、まあ見当外れでしたね。
と、突然、男は椅子から転がり落ち、叫ぶでもなく「オギャー」と淡々と言い放つ。あやされる赤ん坊のように手脚を広げて寝そべり、身体をゆらゆら揺らす。
あまりにも突然だったので驚いたし、どういう意図なのか理解はできなかった(あとで台本を読んでなるほどと唸りました)けれど、ただただ小林大斗さんの身体のバランス感覚や身体をコントロールする力に圧倒されました。
この小林さんのバランス感覚やコントロール力は作品を通して強く感じたものです。動きがすべてしなやかで柔軟な印象で、それは神経が身体の隅々まで通い筋肉を自在に動かすことができるから生まれるものなのではないかな、と思っています。身体性について詳しいわけではないので実際はどうかわからないのですが……。
横になっていた男はまた突然立ち上がり、小学生だった頃の話を始める。クラスの中で違和感を感じながら過ごしていたが、転校によりそれは一変したと。転校したその日の体育の時間に7段の跳び箱を成功させ、クラスの中心人物になったのだ、と。
このとき実際に男は椅子を跳び箱に見立てて跳び、椅子が微動だにしなかったので固定されているのかと思っていました。あまり正確に覚えていないので記憶違いの可能性も高いのですが、背もたれ部分に手をついて跳んでいたような気がしたのでバランスが取りづらそうだと思ったのも要因です。が、なんとあとで椅子が普通にずれたり動いたりしていたので固定されていないことがわかり、とても驚きました。
跳び箱を跳んだときに踏切板がズレたこと、ズレを直そうとしてズレを大きくしてしまったこと、その所為でクラスの男の子が怪我をしたこと。ずっと薄らと感じていた不穏さや狂気の片鱗が、この辺りから形となって現れてきたのを覚えています。
その後男は初めて石を投げたことをきっかけに、人格が細分化されていくような感覚が芽生え始める。
ここで男が言っていた、一概となる自身などない、という感覚は私にもありました。それこそ中学校や小学校の頃、男と同じように「自分には多くの面があり、どれが本当の自分なのかわからない」と感じていた時期があったことを思い出しました。
作品を通して、私が男に対して心から共感できたのはこの点だけだったように思います。きっと誰しもどこかは男と重ねる部分があったのではないでしょうか。
ちなみに私のこの感覚は年を重ねるごとに薄れていき、今では気分の上下はあれど、おおよそどんなときも一定の自分であるという自覚のほうが強いです。
男は石を投げる行為を続ける様になり、その行為について分析する。分析して他の方法も検討して、結局石を投げる行為に行き着く。そして衝撃的な一言が放たれる。
「男は遂に、人を殺した」
しかし、それに続いたのは恋人の話である。不穏さや狂気は纏わりつきつつも、女性と距離が縮んでいく様子を話すだけだった。
私は「この女性を殺すのだろうか。それとも石を投げるという行為の分析の最中に述べていた、殺すということは変更を加えるということかもしれない、という言葉に則り、女性になにか変更を加えることを指しているのではないだろうか」と考えていました。これも見当外れでしたね。
男と女性は順調に仲を深め、女性の娘も男に懐き、ともに遊ぶようになっていた。男の言葉の中に、川、という言葉が出たときにわずかにひっかかりを覚えたけれど、それが何だったのか考えることはしませんでした。
「そこでその娘は石を拾った。そして、その拾った石を男に渡した」
この瞬間にすべてが繋がり、あ、と感じた瞬間にブワッと物語が加速して鳥肌が立ちました。この先どうなるのかわかる、わかるから恐ろしくてたまらなかった。
「なんだかよくわからないエネルギーが身体の中に潜んでいる」
劇中に何度も繰り返されたフレーズがまた繰り返される。男のエネルギーがはち切れる様子が、ありありとわかる。
男は、石を、投げた。
この石を投げた瞬間、身体に電流が走ったような感覚を味わいました。ビリッと全身が震えて、雷に打たれたような、痺れたような、そんな感覚。
男は何度も石を投げていたけれど、このときは力いっぱいに、ある意味魂を込めたような、そういうような投げ方に見えました。男にとってのすべてが詰まっていた、と感じています。
だからこそ、この一瞬が鮮明に強烈に感じ、残っているのではないかなと。
「なんだかよくわからないエネルギーが身体の中に潜んでいる」
「それが、おおよその男の記憶の最後である」
「そして、それはまさについさっきの話である」
男は泣きそうな顔で駆け出し、扉から勢いよく出ていく。
そして照明が明るくなり、終演。
一気に物語が収束して終わりを迎える様は想像を超えていて、余韻の残り方がとんでもなかったです。
12/1(日)17:00編
開場して、既に男が舞台に「居る」のは初日と同じで、動きも同じような雰囲気でした。ただ初回とまったく同じ動きをなぞっていたというわけでは決してなく、テレビの方を向いて体育座りをしながら何やら手遊びをしているよう(客席には背を向けていたためよく見えず、ぼんやり背の黒い壁に反射した姿からの想像です)だったり、仰向けに横たわってみたり、手を使わずに起き上がってみたり、はたまたうつ伏せに寝転んでみたり、手で何かを床に書いてみたり、似ているようで少しずつ違う動きをしていたように感じました。
今回はできるだけ男のことを観続けようと思い、あまり視線を逸らさずに開演を迎えられたので、初回の後悔を少し取り戻すことができました。
「なんだか胸騒ぎがする」
男がそう口火を切って話し始めて間もなく、なんとなくですが初回より発音が丁寧でゆっくりになっている?と感じました。たぶん本当にわずかな差だったと思います。気のせいかもしれない。
物語が進むにつれ、初回との違いがまた少し見えてきました。言葉がかなり削られている代わりに、「んー」といった言葉ではないような発音が多くなっていること。身体の動きがより大胆に、柔軟性とキレを増したものになっていること。照明の色もおそらく変わっていたように思います(初回でピンクの照明は使っていなかったような、私の記憶が無いだけかもしれない)。
細かい差異を言えば、「オギャー」の場面で椅子から転がり落ちた後の第一声が「うぇえーん」だったことや、椅子を跳び箱に見立てて跳ぶ場面では座面に手をついていたこと(初回で背もたれに手をついていた記憶が正確でない可能性もある)、踏切板を直す(ズラす)動きもゆっくりだったこと、等々きっと数え切れないほどあったと思います。
あとは中盤〜終盤くらいから、とても汗をかいているな、と思いながら観ていたことを覚えています。
ラストに向かって急加速する場面は、やはりわかっていても鳥肌が立ちました。男が石を投げたときの、何を映しているのかわからない眼がとても印象に残っています。
「それが、おおよその男の記憶の最後である」
そう言うと、男は舞台から客席に降り、ゆっくりと天を仰ぐように顔を上げる。ピンク色の照明。不気味さを湛えた笑みを浮かべて、言い放った。
「そして、それはまさについさっきの話である」
ゆっくりと歩みを進め、扉から出ていく男。
照明が明るくなり、終演。
発した言葉は同じはずなのに、物語の収束地点が初回とは全く異なるところにあるような感覚です。
表現や演出自体にもゾッとした思いでしたが、その表現や演出を少し変えるだけでこうも印象が変わるということが、とても恐ろしくとても面白いな、と思いました。
総括
今回の作品の大きな印象として、小林大斗さんの一挙手一投足が、木星劇場のあの空間・時間をコントロールしていた、あるいは支配していたというものがあります。それは発声の仕方や表情の動かし方、身体の使い方をご自身でコントロールされていて、その範囲を空間や時間に拡張していたようなイメージなのかな、と想像しています。
物語としてとても惹き込まれる内容・構成でもあり、照明や音響も物語への没入感を増強させてくださいました。また石を持って帰れるのも良い演出でした。
一言では言い表せないくらい、とはいえ何を言っても陳腐な言葉になってしまいますが、とても素晴らしかったです。
百武さんの「小林と一緒に一人芝居を作ることにして今日劇場を借りました」「11/29-12/1の3日間です」というツイートが5/20のことでした。そして公演の詳細が劇場あしからず。さんから発表されたのが10/1でした。
5月から待ち続け、10月に詳細が発表されてからはほぼ毎日のように動画が投稿され、ずっとずっと楽しみにしてきました。
期待しながら待ち続けて良かった、咄嗟の判断だったけれど2公演足を運んで良かった、本当に本当にこの作品を目の前で観ることができて良かった、と心の底から感じています。
全公演が無事に終演できたこと、また全公演満席とのこと、おめでとうございます。皆様本当にお疲れさまでした。
来年はたくさん公演予定とのことでしたので、また劇場まで観に行きます。というか今は終わってしまったことが寂しすぎて、次の公演のことを考えていないと挫けそうだったりしています(笑)
小林大斗さん、並びに劇団あしからず。さん、これからも応援しています!
本当に素晴らしく贅沢な体験でした。
最後になりますが、劇団あしからず。特別公演「石を投げる」、最高でした!!!ありがとうございました!!!!!
2024.12.02
さち