【おうちdeまなび舎】を通した私の学び
今息子が本日2コマ目の無料オンラインスクール
おうちdeまなび舎を受けている
私は違う部屋でこれを書いている
午前中に1コマ目を受けた時、とても疲れた
おしゃべりで承認欲求の強い息子はどんどん話そうとする
そこにブレーキをかけ、先生の話や他の子ども達の発言も聞くよう促すのに疲れたのだ
そして今受けているのは「おしゃべりしよう。こどものてつがく」というクラス
息子よりも私が受けたいくらい大好きな内容(≧∀≦)
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そして息子がどんな話をするのか気になる
だからこそ今別の部屋にいる
何も聞こえないように音楽をかけ扉を閉めている
おうちdeまなび舎 は在宅で楽しく学べる素晴らしい場
子どもがどう反応するか、先生の話の内容、他の子ども達の様子も全てわかる
それ故に息子の様子を含め色々気になってしまうのだった
(ちゃんと話を聞いているのか、独壇場になってないか、先生の話を遮らないか、先生の内容は子どもが楽しめるのか...)
そんなことを考えるから疲れてしまう
私ってつくづく心配性だなと感じた
さらに私がしてることって誰の為?何の為?と考えた
息子に楽しく学んで欲しい気持ちは大いにある
だからこそ申し込んでいる
だけど私がしてることって息子を信じていない言動だなと感じた
もし本当に信じていれば、息子のおしゃべりを遮ったりしないだろう
もし話過ぎだと感じたら周りの子ども達や先生が直接息子に伝えればいい
そこで息子がどう思うかも、どう思われるかも息子自身の問題である
なのに私が先回りしてあれこれ息子に注意してしまうことで彼の学びを奪ってしまっていた
息子が傷付かないようにという不信感は息子が傷付いたら可哀想という私の自己中心的な考えであり、傷付いても立ち直れる強さが無いと思い込んでいることの表れ
更には息子が嫌な子、迷惑な子だと思われないようにという私の体裁を気にしてのことだな、と気付いた
そして哲学のクラスを聞きたい理由は息子がちゃんと自己対話できてるかを聞いて、ただ私が安心したいだけなんだ、と気付いた
日本の多くのママ達が子どもが他人に迷惑かけないようにと色々細かく言うのを見たり聞いたりする度に良く思わなかったけど、やっぱり私の中にもあった
でもまた一つ気付けた
あとはどうするか選択するだけ
私は不安からの行動をやめたい
だから別の部屋に行くことにした
終わったら息子から話聴けばいいんだもん
もし忘れたり、面白くなかったとしたらそれは仕方ないもんね
と思って書いていると、40分のクラスが終わったと言って私の部屋に来た
そしてとても楽しそうにクラスの様子を話してくれた
それでいいんだ
それがいいんだ
息子が学ぶべきことを親が勝手に心配して先回りしても何も良いことはない
信じるから見守る
信じる為に見守る
おうちdeまなび舎で息子が学ぶ楽しさを体感してくれたらと考えて申し込んだが私も予想以上に学ばせてもらっていることに感謝☆
まだまだ息子を通して学ぶことが沢山ありそうだ