職場環境に求めるもの
転職した仕事を辞める事にした。自分が職場に適応出来なかったから辞めたくなるのかな?そう自分を責める気持ちも少しあった。新しい職場に来てから自信をなくす事もあった。駄目だと言われ過ぎると自己肯定感が下がる事も体感した。いざ、振り返ってみると色々な気付きがあったので、忘れない様に記しときます。
新しい職場に来て、素晴らしい仲間たちとの出会いもあった。その人たちが沢山励ましてくれて、沢山助けてくれた。自分が人に弱みを見せるタイプで、苦手な事や出来ない事を比較的オープンにする。逆に自分の強みもやりたい事をオープンに話す。そんな風に自分の想いを言葉に出来る自分を羨ましいと言ってくれる人もいた。そんな風に自然体に振る舞えるのは強い人が出来る事と。だからその人達の役に立ちたくて自分に出来る事を精一杯やってきた。自分に優しくしてくれる人達にとって、職場が少しでも楽しい場になればとの想いを常に持っていた。苦手だったパソコン作業も少しづつ早くなってきた。自分が手がけた商談も少しづつ花咲き始めた。自分のサービスに対する想いを伝えると、有難い事に、それに協力してくれる方も少しずつ増えてきた。
自分だけの成果ではないが、少しずつ数字も出始めてきた。自分が携わった仕事でも様々な有難いご意見も頂けて、そこから繋がる素晴らしいご縁もあった。そんな機会を頂けて採用して下さった会社には大変感謝している。お陰様で苦手なパソコンのスキルも少しは向上しました😊
様々な経験をさせて貰った約6ヶ月弱、自分としても以下の職場環境に求めるものがクリアになってきた。
多様性の意見を認める社内文化があるか?
専門職だけでなく様々な経験をしてきている人と仕事をしたい願望が私にはある。それは自分がしてない経験を手っ取り早く学べ、擬似体験でき、良いサービスに繋がると思っている。起業をしたい私は、全ての事を自分で出来ると思っている訳でもなく、得意な事は得意な人に任せればいいという考えがある。その為、自分が苦手な事は積極的に手放していきたい。その上で必要なのが、多様性を受け入れ、自分とは違う環境で仕事をしてきた人に対するリスペクトが必要と感じる。特にこのmindがあるかどうか、重要視している。
社内に心理的安全性があるか?
さっきの内容にも被るが、心理的安全性がないと多様性を持った人達が自由な意見を言い合えず、どうせ言っても無駄だとの思考回路に陥る。結果考えなくなる社員が増え、新しいチャレンジが出来ずイノベーティブなサービスに繋がらないと考える。更に、心理的安全性がない職場だとより閉鎖的な空間と化す。それはまるで、アウシュヴィッツ強制収容所の様に思える。その閉鎖的な空間において、自分自身が良くない方へ変わって感覚があった。
尊敬するドイツの政治哲学者、ハンナアーレントも『全体主義の起源』でこう述べている。
「ごく普通の人も一定の条件下では権威者の命令に服従し、善悪の自己判断を超えてかない残虐なことをやってのける」つまりは誰もがアイヒマンになりうるという事。アイヒマンの服従の姿勢は、決して特有なものではなく、誰にでも認められる陳腐なものである。それを防ぐ為には複数性に耐えうる事であり、異なる考えをもつ他者によって意見を出し合える事により防げる。その意見を出し合える為にも、心理的安全性が必要といえる。
社内サービスにプライドを持てている社員が多いか?
コレは入ってみないと分からないが、サービスが本当に素晴らしいか、そうじゃなくても社員1人1人が自分の頭を良い意味で洗脳出来るかにかかってくる。勿論プライドを持ててる方が結果的に良いサービス提供につながる為、そう思えている社員が少ないとサービス自体も廃れていくと思われる。
自分自身が良いと思えるサービスがあるか?
自分がサービスを有料で受けたいか?にかかってくる。それがあるかどうかで中で頑張れる事、サービスを紹介する上での説得力が増す事に繋がる。今回は幸いな事に、良いと思えていたので、その点には苦労がなかった。
自分のキャリアにプラスになる事があるか?
短期的に見たら、自分が足りないスキルを習得出来た点においてはプラスであった。ただ、中長期的に見ると自分のキャリアに傷が付く可能性も感じている。自分自身が会社に染まっていき、自分を歪めてまで強い主張を押し通す、人に対して失礼な人間になってしまうリスクを現に感じた。それは自分自身のキャリアにも傷をつける事となる。
自分自身の次のチャレンジの前に、自分が次の職場に求める条件をしっかり棚卸ししてみました♪