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どこかであったような気がするよりもっと運命で 好きだと思ったんだ


それから私は月2〜3回のペースで高速バスに乗り、クリープハイプのライブに行き続けた。


本当は保育の仕事から離れたかったけど大学まで通わせてくれた親に申し訳なくて今度は小さな保育園の仕事に就いた。ライブにたくさん行く為に掛け持ちで旅館のバイトもした。


その頃今の旦那となる人に出会う。
新木場STUDIO COASTでチケットを譲ってライブ後ごはんを食べに行った。たぶん一目惚れに近かった。ライブに行く度会っていたのに最初の武道館で寝癖を一緒に聞いて以来音信不通になった。


もう仕事に対して燃え尽きてしまった私は仕事内容を重視しすぎて車で2時間の田舎で働いたけど、長くは続かなくてずっと好きだった古着屋さんの面接を受けた。

大学の頃から古着が大好きだった私はその会社に受かって働くことになった。
とっても嬉しかったけれど古着屋さんの他に居酒屋やBARも経営していたのでいつも古着屋終わりに終電まで手伝わされていた。酒も飲めないのに。
洗い物から始まったのにカクテルやら串打ちやらいろんなことをやらされた。私はなんの為にこの会社に就職したんだろうか…


その日も仕込みの手伝いをしていると「ねぇお花好き?」「お花似合うよね!お花屋さんで働かない?」といつも通りのペラペラに軽い言葉で社長が言った。

花は子どもの頃から好きだった。酔っ払いに絡まれるよりずっといい。(結局花屋に行っても手伝いは続いたけど)
早速花屋さんがオープンするとそっちメインで働くことになった。ブライダル歴の長い職人肌の店長が私は好きだった。"この人について行こう"社会に出て初めてそう思える人に出会った。


だけど花屋さんの景気はあまり良くなかった。
その日も花の配達に出かけてガソリンを入れて戻った。夜に社長から電話があって「車が壊れた」と言われた。
私はガソリン=レギュラーだったけどどうやら配達車に使われてた古い車はハイオク車だったらしい。
まさに「知らねーよそれ」
お金もないし一円も払いたくなかったのでタダ働きをして返すことにした。


そのタイミングで遠距離だった彼氏にもフラれて私には何にもなくなった。
だけどその時に"一番好きなもののそばに居たい"その気持ちだけが残った。

タダ働きと派遣を両立して私は上京することにした。
理由は"クリープハイプが好きだから"ただそれだけだった。


大学の先輩の紹介で施設で働くことになった。
"正社員で"と話していたのに何故か"バイト"にさせられたので暮らしていくためにうどん屋でバイトした。

仕事が終わってそのままラストまでバイト。しんどい毎日。正社員になるまでのこの一年が一番踏ん張った気がする。そして音信不通になっていた旦那になる人から急に連絡が来て再会する。


正社員になってからはクリープハイプのライブに行けるだけ全部行った。
ステージに上がる彼らを見る度"ここまで来れた"と涙が溢れた。


再会した旦那と武道館に行った。
クリープハイプがまた巡り合わせてくれた。

その後結婚してさっちゃんが生まれる。
出産する時に好きな音楽を流せたので"出産ハイプ"を旦那と作って流した。

さっちゃんの名前は尾崎さんの名前と"燃えるゴミの日"からつけた名前で、さっちゃんが生まれる瞬間"燃えるゴミの日"が流れていた時涙が溢れた。
あの瞬間を私はこれからも何度でも思い出せる


どんな時だってクリープハイプが尾崎さんの声が私のそばに居てくれた。

これからも届けてくれた一曲一曲に思い出ができて特別に大切になっていくのが楽しみで、私の生きる意味になっている。


#だからそれはクリープハイプ
#クリープハイプ
#だからそれは真実




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