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父が旅立って1年たった

💧自分が流した涙の理由が分からない。

去年の11月初めの早朝に、約5年ほど癌と闘った父が痛みや苦しみから解放されるように旅立った。
亡くなる直前の夜も、私はお気楽な気持ちだった。あんまり先が長くないのかもしれないという予感はありつつも、どこかで楽観視していて、そして旅立ってしまうことに、あまり恐怖とかそういった感情をもっていなかった。

そんな私が、号泣した。自分でもびっくりするぐらいの涙の量だった。なんでそんなに泣いたのか・・・その理由が今でも分からない。
父が亡くなったことによる寂しさか、ちゃんと父と寄り添えなかった後悔なのか、絶望感なのか。

分かっていることは、いずれでもない、ということだけだ。

💧父が旅だった事実に涙する自分が嫌だ

今でも時折、父との思い出に触れると自然と涙腺が緩み、しょっぱいものが目から落ちてくる。

私は、、、後悔しているのだろうか、それとも会いたいのだろうか・・・
父がいないことについては受け止めているし、父と直接会話したいとかを考えることは、まずない。

にも関わらず・・・
父のことを思い出すと涙がでる。そんな自分があさましく思えてくる。
悲劇のヒロイン的なものを第三者に見せつけたいという潜在的な意識があるのではないか、とか考え自分が嫌になる。

父が闘病している時に、しっかり寄り添うことなどしていなかった自分が、看病より自分が楽しいと思う時間を優先していた私が、泣いて誰かからかわいそがって欲しいとか心のどこかで思っている自分に気が付くからだ。

💧私の涙は・・・

私は、「他人のために」時間を割けるような人間ではない。時間を使うのは「自分」のためだけだ。
そんな自分に嫌気がさしているのに、アラフォーになっても、そんな自分から離れられない。

父が旅だったことは、私にとって自分の嫌な部分と向き合わざるを得ないことだと、父のことを思い出しつつ自分を見つめてみて、そう思うようになった。

私の涙は、後悔に近い感情なのかもしれない。
ただ、父に対する後悔というより、自分の言動に対するものだ・・・
やっぱり「他人」ではなく「自分」なのだ。

💧「自分」人間から脱してみよう

「自分」人間だから、私は人からモテなく自分が思ったような人間関係が築けないんだな。
「嫌いじゃないけど、積極的に会いたいとも思わない」と思われている人間なんだな私は。だから、パートナーがいないんだな・・・

父は、こんな自分を見透かしていたのではないかと思う。

2年前に父からもらったバースデーメッセージを偶然見つけて読み直した。そこには『ニコニコで、プンプンではない毎日を』といった言葉が添えられていた。

すごく短い文章だが、そこには込められた言霊が溢れかえっていた。
2年前は気づけなかったけど・・・。

父は私が流す涙の理由を考えさせるきっかけを与えて旅立ったのではないか。最期まで、父は素晴らしい父親だったんだ。

「他人」のために時間を割ける人になろう。
でも「自分」を見失わない程度に。

父が旅立って1年。
私は自分の魂を成長させる好機に気がつけたのかもしれない。

お父さん。ありがとう。

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