ビールと私の最初の話。
ビールに目がない。
メルボルンのブルワリーを巡る一人様旅して、8日間の滞在で13軒ものブルワリー訪問したり、推し国内ブルワリーに取材を申し込んで、日の目を見る予定がないビール記事を書いてみたりするほど好きだ。
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ビール大好き女子だが、元はワイン派でビールはわざわざ飲みたいと思えないお酒だった。そんな私がビールに目覚めてしまったのは、2年前の冬に旅をしたストックホルムから始まる。
◇ なんとなくストックホルムに行くことにした
思い切って転職した外資系企業で仕事をしていたが、まったく成果が出せなくクビ寸前だった私は、何もかもが嫌になり逃走するように会社を辞めた。
転職するまでは順風満帆だったはずのキャリアが、思い上がった行動をきっかけに一気に崩落し心は奈落の底にあった。その頃の私は、自身の周りにある空気が重く淀んでいる感触で、そんな空気を吸わなければならない自分に苛立っていた。
そんなヘドロ空気から逃れたくて、何かに掻き立てられるように会社を辞めて旅に出たのは2019年2月のことだった。旅先として選んだのはストックホルム。理由はなんとなく、なんとなくストックホルムに行きたいと思ったのだ。
◇ 始まりは、たった一杯のビールだった
ストックホルムに着いた翌日、街歩きを楽しむために市街地に足を運んだ。やや温暖育ちで寒さに弱い私は、すぐさま北欧ならではの冷たい空気で耳と頭が寒さに耐えられなくなった。観光どころではなくなっていた私は、さっさと切り上げて感じの良さそうなレストランにそそくさと入店した。何気なく入ったお店は、カジュアルだけどセンスの良い照明がどこかに大人の落ち着いた感じを彷彿とさせる店だった。
室内の暖かく優しい空気がジンワリと身体を温めていくのを感じながら、メニューを開いた私は落胆した。
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私独自の旅行流儀で、その土地ならでのお酒を楽しむ、というルールを課している。そして当時の私はワイン派、メニューにあるワインはイタリアかフランス産のものばかりでがっかりしたのだ。葡萄が育ちにくい北欧ではワイン醸造が盛んではないため、当たり前の事なのだが私としたことがすっかり失念していたのだ。スウェーデンのお酒はビールだけだった。
メニューとにらめっこした結果、渋々と旅の流儀を採用した。そんな渋々な選択をしたビールがテーブルにやってきた瞬間、私の心は撃ち抜かれた。ジョッキのイメージが強い私の前に現れたのは、ワイングラスに注がれた可憐な佇まいのビール。気品があり大衆感を微塵も感じさせないビールに出会った瞬間だった。そして、このビールには見た目から美味しいと思わせる威力も備わっていた。
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ソロリと口に含んだ。日本ではキンキンに冷えていてトゲトゲしさを感じることが多かったが、このビールは、冷たさの中にまろやかさがあってトゲトゲしたものがなく滑らか。苦味だけではなく適当なタイミングで程よい甘さが顔を出す優しいビールだった。一口目が胃に収まった時、自分の真ん中がプルプルっと震えた。その直後に、「美味い・・・!」という感情がドーンと押し寄せ、人生で初めてビールが美味しいと心底思った。
ビールと軽い食事をゆっくり楽しんで外に出た時、私はふわふわとした幸福感に包まれていた。久しぶりの感情だった。転職してからの数年間は緊張と自己嫌悪の渦で荒んでいた私の心は、たった一杯のビールで救われていた。
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ビールのせいか暖房のせいか、火照った私の頬をストックホルムの寒い空気が気持ちよく刺激してきた時、自分の心もスーッと気持ちよく空気が流れる感覚を感じた。そして、ビールに夢中になっている自分がそこに立っていた。