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はじめてのnote | ヨーロッパの土地で蘇る自身のアイデンティティ
幼少時、ヨーロッパ本土で育った。
今から数十年前のフランス語圏に住まうアジア人は少なく
当時は街へ出かけると怪奇の目で見られることも
しばしばあったような記憶がある。
学校では英語、
街ではフランス語やドイツ語、
家庭では日本語。
自身にとってはそれがデフォルトであり、
特別なことであった意識はないが
テレビをつけても、レストランに行っても
あまり快適だったような記憶はない。
それから時は流れ、
その後北米、南米、アジア、オーストラリア、
そしてヨーロッパにもイギリスや北欧にも訪れたことはあったが、
なぜかヨーロッパ本土に足を踏み入れることはなかった。
避けているつもりもなかったものの、
気が向かなかったと言った方が正しい。
今思えば、英語や日本語が通じる国にいる方が安堵感に包まれ、
いつしかフランス語やドイツ語には
モヤがかかったイメージが膨らんでいた。
ところがである。
初めは行かない方向で考えていたものの、
家族の事情で、今年の夏、
ついにヨーロッパ本土に降り立った。
まずはドイツ語圏だ。
昔住んでいた街ではなくとも、
ヨーロッパに共通した懐かしい街並みに
私はいつしか引き込まれ
路面電車に乗っている間中
幼少時の記憶が走馬灯のように駆け巡った。
「記憶」というより「感情」と言った方が正しい。
「記憶はイメージであり、イメージは感情で記憶している」と
常々仕事でクライアントさんにお話ししている
その自分自身が、一番それを体感した瞬間だった。
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幼少時の自分は、感受性が豊かで、
小さなことにも
胸をときめかせ
喜び
楽しみ
瞬間瞬間を噛み締めていた。
それを見守ってくれていたのが
私の両親であり
家族であり
親としてどんな思いで過ごしていたのか
自身が大人になって同じ街並みを見た今
感情のアンテナが
未だかつてないほど忙しく叫んでいた
私は幼少時
本当に純粋で
澄んでいて
信頼と
安心と
希望に満ちていた。
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旅の終盤、
フランス語圏を周遊した。
その時の私は片言のフランス語を話すことに
喜びを覚え
壮大な自然と人々の優しさに触れ
当時の家族とその土地に
感謝の気持ちが溢れてやまなかった。
記憶はイメージであり、
イメージは感情で記憶している。
この旅で、タイムマシンに乗ったかのように
当時の感情が蘇った。
自身に中に、まだまだ発掘しべき
記憶が眠っていることを自覚した。
楽しみ、思い出、新しい経験以外にも
旅の醍醐味を見つけてしまった。
新しいアイデンティティの発見に
今後も楽しみで仕方がない。