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シングルマザーになったとき、見えたものと見えなかったものの話

ちょうど14年前の今ごろ、23歳の冬に妊娠が発覚した。

その日からとにかく考えた。こどもを産むということ、こどもを育てるということ、親になるということ。
寝ても覚めても考えた。人にも会わず、ごはんもろくに食べず、音楽もテレビも遮断して、一生分のあたまを使い果たすつもりで考えた。

まだ独身で、想定外の妊娠だったし、それまでこどもを産んでお母さんになりたいという気持ちになったことがなかったので、完全に真っ白の頭に、ありとあらゆる想像をしては消してを繰り返し、しかしどれだけ考えてもそのすべてはもしも話でしかなくて、わからなくて、こわくて、途方に暮れていた。


何日間考え続けたかわからないけど、ある日、とある観点から考えた。

「自分の人生に満足していたら、こんなにこわくはないのかもしれない。だとしたら、わたしの人生に足りないものはなんなのか」

その答えは、すぐにわかった。わたしは、すでに知っていた。
わたしの人生に足りないものは、「仲間」と「お金」だった。


こどもの頃から、親と自分は別の人間だ となぜか強く思っていて、10歳のころにはすでにひとり暮らしをしたいと思っていたり、学校で、みんなが親友ができたり誰とでも仲良くしないといけなかったりするのがイマイチ理解できなかったりする傾向があった。

個人主義で、マンツーマンの関係にしか興味がなかったので、「仲間」という感覚をつかめないでいた。
そして「仲間」に、つよい憧れを抱くと共に、絶対的に自分にはないものだと感じていた。

個々にわかり合える友人もいたし、そこそこ恋愛もしたし、孤独で寂しいという感情とはまったくちがう、どうしようもなく「ひとり」なんだという実感を常にもっていた。


そして、お金は、単純になかった。
実家は裕福ではないが困ってもいなかったと思うけれど、18歳のときに父が脳梗塞で倒れ、4年間の入院生活の末、亡くなった。
父は倒れる数年前に、起業する際に生命保険を解約していたため(家族は知らなかったので唖然とした)、実家(賃貸)もなくなり、お金はなかった。
そしてお菓子の業界では修行なので、お給料はとても低く、自分の貯金もほとんどなかった。
(けれど、あるものがなくなったのではなくて、もともと持っていないので、どうにかなると思っていた)


その日、自分に足りないものを思い出したとき、わたしは決断した。

「わたしに、仲間ができる!」と、心の奥からワクワクした。突然、ものすごく、ウェルカム!という気持ちになって、苦悩はぜんぶ楽しみへと変わった。


「こどもを産むことにした」とこどもの父親である当時の恋人に告げたとき、彼はとてもよろこんで、当然のように結婚の話をした。

だけど、わたしは、こどもを産むかどうかについては一生分考えたけれど、結婚については1も考えたことがなかった。

当時23歳で、周りに結婚している友人もほとんどいなかったし、結婚とはいったいなんなのか、自分がどんな家族を望んでいるのか、まったくもってこれっぽっちもわからなかった。
自分の家族のことですら、掴みきれないうちに父は亡くなってしまったし、理想も、憧れも、家族観がなにもない。

とはいえ結婚を断る明確な理由はないし、出産したらしばらく働けないだろうし、もうこどもを産むかどうかにあたまを使い果たしてしまって、考えることができなかった。

しょうがないので、正直に「結婚っていうものを一生続けられるか、よくわからなくて、とうてい誓えないし、例えば2年後はこどもが2歳ということ以外は何も見えないのだけど、それでもいいですか」と彼に話をして、とりあえず入籍した。


そんな結婚だったので、案の定、わたしはこどもとは仲間になれたけれど、家庭というものををつくることはできなかった。ビジョンがないし(おそらく彼にもなかった)、試してみたものの、やっぱりなにをどうしたらいいかわからないので、想定どおり、すぐに解散することになった。


自分でもバカみたいだと思うけれど、わたしがシングルマザーになったのは、想定外の妊娠と、想定内の離婚の結果だった。


自分の望む、自分のすきなかたちの「家族」や「夫婦」について、ようやくわかりはじめたのはつい最近で、それまでは本当にわからなかったけど、あの時、「こどもと仲間になれる」と確信したことは、間違っていなかった。

わたしの決断が先なのか、あーちん(娘)がわたしに訴えかけたのかはわからないけど、わたしはシングルマザーになるべくしてなったんだと思っていて、それはペナルティでも、かわいそうなことでもない。


あーちんと、親子という仲間になれて、わたしたちはとても運がいい。



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桜林 直子(サクちゃん)
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