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13歳と37歳のハローワーク

わたし自身が、中学生のときに世の中にどんな仕事があるのかわからない、と疑問に思ってから(こちら参照)、今もなお、仕事についてもっと知りたいという気持ちがあって、娘のあーちんに何をしてあげられるかなと考えていた。

あーちんが小さい頃から一緒によくやっていた遊びがある。
自分の敗者復活戦のようで独りよがりだけれど、わたしなりの早期教育で、「目につくいろいろな物の、それに関わる仕事を考えて言い合う」というものだった。

たとえばここにあるマグカップ、これに関する仕事は?という問いに
「もともとは土だから、それを粘土にする仕事」「粘土をマグカップの形にする仕事」「待って、その型を作る仕事もある」「どんな形にするかデザインする仕事」「できたマグカップを運ぶ仕事」「運ぶ車を作る仕事」「え、そっち行くと戻れなくない?」「マグカップを売る仕事」「待って、どこで売ってもらうか決めたりお願いしたりする仕事もある」
と、手探りででたらめだけどどんどん出していく。

これが、大人でも意外とわからなくて頭を使うし、
「どんなものでもデザイナーっているんだね」とか「運ぶ人もね」などと、かるたでいう「蝉丸」的に、言うのを取り合う仕事ができてきたり、つまずいてわからなすぎて調べてフムフムとなったりと、とてもおもしろい。

そして最近になって今度は、周りの友達などに、今やっている仕事に至るまでの話を聞くのがとてもおもしろいのだけど、これが、わたしが中2の頃から知りたかったことを根本から覆すことになってきた。

「世の中にどんな仕事があるのか知らないと決められない!」と思って知りたかったけれど、おとなになっていろんな人の話を聞くと、何かを目指してそこにたどり着いた人(お医者さんとか宝塚とか)はほんの少しで、ほとんどの人が「たまたま」だということがわかったのだ。

たまたま誰かに出会ったことや、たまたまやってみたアルバイト、みんなそんなにもたまたまか!と驚いた。
驚いて、安心した。そしてそのことを中2のわたしに言ってあげたい!と強く思った。

「今は存在しない仕事が将来たくさんできるし、全部知ることなどできないから、安心して進め、たまたまだから」

「たまたまだからこそ、意図的におもしろいと思う人の近くに行ったらいい。たまたまは、自分ではないものが持ってくるから」

「おもしろいと思う人にたまたま会えたときに、自分が何ができるのか言えるように、そこだけに絞って考えればいい」

「職業を決めてそこに向けてだけ進んでいたら、最短距離に見えて、出会えない人もいるから、視野を広くもってアンテナをはり続けて、そのチューニング力をつけるといい」

もちろん偏っているけれど、わたしの視点でできる教育はそこだなと思う。
すでに強みをどんどん増やしているあーちんが、この先どんなたまたまに出会って、どこに進むのか本当に楽しみだ。

「楽しみ」を原動力に、自分が何をおもしろそうだと思うのかチューニングをし続けて、進み続ける行動力につながる自信をつけるために、親のわたしが彼女をよく見て、褒めていきたいと改めて思う。


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桜林 直子(サクちゃん)
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