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30代でやりたいことは「時間を何につかうか」で考える。

「やりたいことをする」について話していると、なにを仕事にするかという話や、趣味ですきなことをする話など、いろんな要素が混ざってしまい混乱することがよくある。

20代の人と「やりたいことをする」について話すと、仕事への不安や自分の適性を知りたい気持ちなどが伝わってくる。「わたしのやりたいことってなんだろう?」と悩むとき、それはほとんどが職業の選択の悩みのように見える。

同じテーマを30代の人と話すと、20代の人とはすこしちがう悩みが出てくる。

特に女性は、単に仕事でなにをするかという話だけではなく、たとえば結婚をするかしないか、子供を産むか産まないか、仕事に関してもその選択と切り離して考えるのはとてもむずかしい。

仕事だけで見るとじゅうぶんやりたいことができているとしても、家族との時間のとりかたや、健康面の安定や、金銭面などの不安がつきまとう。

それは「やりたいことはしているはず、だけど、これでいいんだっけ?」と20代とはちがう種類のもやもやした不安だ。

仕事、家族、健康、などひとつひとつの要素ごとに考えると、あちらが立つとこちらが立たず、考えれば考えるほど堂々巡りで迷子になる。20代のときは仕事か趣味かで切り分けて、多少何かを犠牲にしても問題がなかったことが、どうにも辻褄が合わなくて、どこにピントを合わせても全体像が見えなくなってしまうことが、不安につながるのだと思う。


20代でやることが「得意なことを見つける」「できることを増やす」「すきなことをやってみる」「居場所をつくる」「関わりたい人を見つける」などだとすると、とても雑な言い方をすると「目の前のことをちゃんとやる」「関わりたい人の近くにいる」だけでじゅうぶんだと思う。

でも、30代になってこれからやりたいことを考えるときは、20代とはちがう見方をした方がいいと思うのだ。

どう見たらいいかというと、「なにをしたいか」だけではなく「時間を何につかうか」という観点がいちばん必要だ。

仕事、子育て、家事、趣味、友達との時間、などをどれもこれもほしい分だけ全部「やりたいこと」とすると、ほとんどの場合できないことがでてくる。その状態を「やりたいことができていない」と思ってしまう。

また「仕事でやりたいことができている」とすると、それ以外のことをしたいと思うのは贅沢でわがままなことだ、と思ってしまう。

だから、「自分の時間を何につかうか」を自分のキャパシティの中で(←これも重要)割りふって、その時間割ごとを「やりたいこと」としたらいいと思う。


人によって仕事の割合が多い人もいれば、子育ての時間が多い人、恋愛の時間、趣味の時間、などそれぞれだけど、それ以外の時間が少なくなっても「やりたいことができている」ことになる。時間の分配がちがう人とできている量で比べずに「自分の好きな時間割」を組めばいいと思う。

ちがったらまた組み直せばいいし、時期によってちがってもいい。全部はムリなのは当たり前だ。

「全部はムリだ」と諦めるかわりに「自分専用にカスタムした時間割をつくること」は諦めないでほしいと願う。


極端なことを言うと、人生はただの時間だから、死ぬまでの時間を何につかうか、誰といるかがすべてだと思う。

わたしは、自分の時間をできれば気があう人と一緒にすごしたい。やりたいことの時間割でいうとすべての時間を「気があう人とすごす」になる。だから相変わらず夢中になれるような“やりたいこと”は見つからないけど、「気があう人に会えるかどうか」でやることを決めている。

その結果、その人たちと一緒にいることで、その人たちのためにしたいことが出てくると思っているんだけど、そうなったらとてもいいよね。

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桜林 直子(サクちゃん)
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