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3月10日 母もママのこども

ここのところ少しずつ読んでいた、植村一子「かなわない」を読み終えた。

まっすぐで熱を逃がせない彼女の爆発寸前のくるしさや、生傷を見せるような文章に、覚悟とロックを感じた。
きっと、彼女はとても素直で、自分の気持ちをひとつずつ大事に扱うひとなのだろうなと思った。気持ちの熱量やこころの儚さが、10歳の少女のよう。


何年もずっと考えている、女の子と母親の関係性について、またしばらく考えることになりそうだ。

おとなになって、母親と距離ができて、うまく関われるようになったと思っていたのに、自分の近くの夫や恋人や子供にその影響が出て、戸惑ってしまうひとを、何人も見てきた。

子供を産んだとたんに、急におかあさんになるわけではないように、「お母さんのこども」という役割もまた、ある日とつぜん区切りができるわけではないのだな。

「お母さん」の影響力の大きさと、何代もつづく連鎖と螺旋に、気が遠くなる。


夜、中央線に乗ったら、外国人(たぶん酔ってる)が通路をはさんで何人か座っていた。その間に立っていたわたしを挟んで、丸めた紙をなげてぶつけあってふざけていた。

あまりに楽しそうだったので、勝手に盾にされながらニヤニヤして見ていたら、調子にのった彼が「おまえもなげろ」と丸めた紙を渡してきたので、真顔で「やだよ」と言った。やだよ。


友人のスイスイが次男を産んだ。



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桜林 直子(サクちゃん)
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