寄り道なんかしてたら 置いてかれるよ(おせっかいの話)
わたしの、でしゃばりで、おせっかいという性質とはもう長いつきあいで、知らんぷりしても、言い聞かせても、どこまでもついてくる。
ただ、そのやっかいなおせっかいが、ときにミラクルを起こすことがある。
わたしが某チョコレートショップで働いていたとき、チョコレートを作ることと店頭で売ること以外のすべてを、どういうわけかひとりでやっていた。
10年くらい前に、パティシエと企業のコラボが盛んにあった時期がある。
それまでは、一般のお客さまと百貨店との仕事が主だったところに、「広告代理店」という知らない職業が現れた。
企業(クライアント)、大手広告代理店、その下請けの広告代理店、そしてわたしたち(この場合パティシエ)という図式もわからず、大きな注文をくれるのかくれないのかよくわからない、コンペだのプレゼンだの言っているいる、謎のひとたちという認識だった。
当時、世の中の仕組みや仕事のことなど何も知らなかったので、何度かそういう類いの問い合わせを受けているなかで、この仕事が、そもそもどういう図式なのかわからず、「あなたはお客さんですか?あなたのお客さんは誰ですか?」などという無知まるだしの質問をはさみ、謎の広告マンをキョトンとさせた。
キョトンとさせた甲斐あって、ようやく仕組みをつかんだころ、大きな企業とのコラボの話がきた。
某大手自動車屋さんが、お客さんにお店に来てもらうために、スイーツを配る企画の話だった。
何社もの代理店がクライアントに提案して、通ったひとつだけが採用される。
そのときの広告代理店の担当の佐々木さん(20代後半/男性:仮名)が、宇宙人かと思うほどのカタカナの業界用語ばかり使い、何を言っているのかわからないという、さらなるハードルを持ってあらわれた。
はじめのうちは、クライアント(自動車屋さん)の要望に合うものを推測して、わたしたちに何パターンか提案させるといういつもの流れだったので、佐々木さんの言うなりに動いていた。(わからない言葉をググりながらの会話だった)
何往復かやりとりをすると、どうやらクライアントの要望に加えて、佐々木さんの憶測で「もしもこういう場合」という要望が要所要所に差し込まれていることがわかった。
そしてそれが、ことごとくとんちんかんな視点で、そのために何パターンもの返答と提案を繰り返すのは時間のムダではないかと思った。
そう思ったらさいご、せっかちなわたしはそのムダを見過ごせない。
そこからは立場を考えず、佐々木さんのキリのない質問を無視して、こちらから、「わたしの想定するクライアントの疑問と不安と要望のポイント」を箇条書きにし、それに対応できる方法を数パターンずつ用意し、先回りに先回りして、頼まれてもないのにサンプルも用意して、消去法の質問ではなく、選ばれるための選択肢だけを用意した。
「むずかしい言葉で、むずかしい仕事をしていると思って、だまって言うこと聞いていたけど、わたしに言うこと聞かせるのがあなたの仕事ではないはず。佐々木、そういうとこあるよ。この進め方では仕事を取れないのは見えてるし、それではいままでの時間をお互い無駄にしてしまうから、もう佐々木の質問を待たない。こちらで用意した資料を持って挑んでほしい。立場の上下関係をなくして、チームプレイでいこう」
と言いきり、その瞬間にコントのように立場が逆転した。
仕事を奪われた佐々木も、ビックリしながらも、自分より先に用意してくれた資料を無下にもできずに、わたしのいうとおりにクライアントへのプレゼンに挑んでくれた。むずかしいカタカナの乱用も減った。
そして、晴れてその仕事を勝ち取った。
その後、実際にその仕事を進めるのは、佐々木ではなく、佐々木の上司である別の担当者になったのだけど、打ち合わせの際に
「佐々木がいつも電話で、はいっ、はいっ、と言っているからクライアントと話してるのかと思ったら、相手がサクさんで、一体どうなってんのと思っていたんですけど、佐々木を育ててくれて、ありがとうございました」
と言われたので、はずかしかったけれど、ホッとした。
わたしはひとつの仕事に向かうときに、相手の望むことをほんとうに知ろうとすると、ときに相手を追い越してしまう。
そして実際に相手の仕事を奪って、ついてこいよ、というスタンスになる。
ほんとうにどうかしてる。
でも、おせっかいがここまでくると、ときどきものすごいチームプレイが成り立つ。
短所は、使いみちによっては化学変化をおこす。
未だに、そのタイミングや相性を見極めるのはむずかしく、わからないのだけど、これを飼いならしてなかよくしていくことが、今回の人生の課題なのかなと思っている。
そして、今日もミラクルを待っている。