日本百名山の歩みINよっちゃん1∼4座目
100座目から77座目まで遡って投稿してきたが写真データがなくなり古い写真のプリントのみとなり、個別の投稿が難しくなった。山日記に「日本百名山の歩み」(ワード文書)があったので、これを基に振り返ってみたい。添付の写真はプリント写真をデジカメで撮り直したもの。
日本百名山著書の初刊は1964年7月だが、まだ存在を知らなかった。知ったのは随分と後のことだ。
1・2座目No2久住山~阿蘇山
1969(昭和44)年10月9~12日 弓張YHGの仲間と共に
長者原→すがもり越→三俣山往復→久住別→久住山→牧の戸峠⇒瀬の本高原YH(泊)⇒阿蘇山
久住に登った10月10日は、私の登山記念日。
当時の久住山頂の写真は?
3年後の九重合宿です。
阿蘇山、どのコースから登ったのかな?
以来52年が経ち九重山系には81回、阿蘇五岳には41回登っている。
3座目No16鹿島槍ヶ岳(春山合宿)
1970(昭和45)年4月26日~5月5日 13名
4/26 佐世保⇒ 4/27 西俣出合にBC
4/28 雪上訓練
4/29 高千穂平AC設置に荷揚げ
4/30 AC入る。 5/01 鹿島槍ヶ岳
5/02 爺ガ岳 5/03 BCに下る。
5/04 下山⇒松本 5/05 佐世保着
国境稜線から眺めた剣岳が印象に残り私を山の虜に。
北アルプスの山々に、それも春の残雪期の山に登るなって夢にも思わなかった。連休のボッカは春山合宿のトレーニングであったが、本当に北アに行くためと実感がなかった。アイゼン、ロングスパッツと用具を揃えピッケルを手にした時、行くのだと思った。
何度となくパッキングをやり直す。これが三日前の楽しみであった。出発の朝、早く起きた。前日、リュックは西肥バス荷物預かり所に預けていたので、駅までは楽であった。リュックを取りに行くと、「何処に行くのですか」「ちょっと北アルプスまで」。こんな会話を交わした。
何ともいいようのない誇らしさがあった。もう何人か集合している。
普通の集合風景と変わらないのだが、よく見るとワカン、ピッケルといった九州の山には必要がない道具が見られる。リュックも大きく、皆の心は既に鹿島槍ガ岳に向いていた。
Y会長らの見送りを受け、10時30分特急かもめはホームを後にした。途中、上有田附近ではT先生以下女子高ワンゲル部員が岩登りホームグラウンド英山から盛んに手を振り見送ってくれた。トランプゲームに興じているうちに21時36分、大阪駅に滑り込む。16分後には、急行くろよんで大阪を発車した。連休前であり京都、名古屋からの乗客も少なく、ゆったりと行くことができた。
鹿島槍ヶ岳や爺が岳には、これ以来登っていない。
4座目No27祖母山
1970(昭和45)年10月8~12日 市役所山岳部5名
神原~祖母山~九折小屋~傾山~三ツ尾~鉱山跡~上畑
初めての本格的な縦走。
祖母山系にはこれまで23回入山しており沢登りが8回ある。
5座目は奥穂高岳です。次回に続きます。