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山登り人生VOL223県境縦断記(二人だけの記念山行)その4大野原高原を抜け俵坂峠へ

長崎・佐賀県境は約107kmの縦断の山旅です。
七日間、N副会長49歳、私34歳の二人だけ山旅でした。 

第三日目No338 昭和58年1月16日 Nと私 

大野原高原を抜ける。俵坂峠までの約23km。
金泉寺山の家7:20→中山越→経ヶ岳9:00→岩屋越11;00→12:25国見岳12:40→
P699m14:20→車道14:40→17:00俵坂峠17:48(バス220円)⇒彼杵(汽車)⇒18;52佐世保駅

グーグルアースより

今日は多良山系の盟主経ケ岳に登り
郡岳縦走路の途中から国見岳、大野原高原に抜けて俵坂峠までの約23km、
今計画で一番長い距離である。

経ヶ岳山頂から県境尾根を望む

国見岳へは春日越の少し手前で縦走路と別れるが、
立派な道標があって直ぐ判った。
以前はなかったものである。
国見岳の前後は、思った以上にしっかりした路があり感じも良かった。
ただ山頂には三角点のみで山頂らしきものは他になかった。

三角点

展望もなく、わざわざ来る所でもないと思った。
大野原の道標も現れる。
路は段々と可笑しくなり、地図から目が離せない。
地形、地物など何の特徴もない所で曲折するので、
気を休めることもできない。
遂に県境を外して、現在地を見失う。
藪漕ぎしては木に登りを何度か繰り返し、
やっと県境に戻った時は、一時間のロスタイムであった。
もう大野原は眼下での出来事であった。

大野原、遠くに次回登る虚空蔵山

大野原は、大変広く長かった。
日没が近い焦りもあって、一度に疲れが出た。
広い草原に二人、ドカっと腰を下ろして大休止。
今日は、殆ど休みなしで歩いている。
とっておきのN氏のコンビーフを食べると元気百倍、
再び黙々と歩き出した。
ようやく大野原も終わり広々した茶園に出て、
県境もしっかりした道路となった。

大野原での私

茶園を過ぎもう一度山の中に入り道路に出ると、
国道の往来が伝って来て俵坂峠に飛び出した。
昔は長崎街道の関所があった所も様変わり、モーテル等が建っていた。
久し振りの強行軍で疲れてしまったが、静かに満足感に浸った。 

N副会長の報告より

1月16日(第三日目)晴れ
(金泉寺~経ガ岳~国見岳~大野原高原~俵坂峠)

断面図

今日のコースが全行程中最大の難所と思われるので、
なるべく早く出発するつもりが7時半になってしまった。
中山峠より経ケ岳の急坂も物とせず、9時ピーク着。

経ヶ岳。三角点測量のやぐら

記念撮影のため小休止し、直ぐ出発。
先は長い。
郡岳への縦走路を離れてから、路は判然としない。
不思議なことに真新しい立派な道標が、藪の中に時々出現する。
藪は益々酷くなってきた。
満身創痍とはこの事か。
見たことはないが、ベトナムのジャングルより酷い。
時々、現地確認のため℉君が木登りする。
14時40分、大野原の東端の車道に飛び出した。

広い草原の拡がりに、先ほどの藪漕ぎが懐かしい。
自衛隊歩哨小屋の横でゲートボールの老人がジロジロ見る。
予想外に時間を食ったので、スピードアップして通過する。
足形池の見える頃より、疲労と時間が気になりだした。

グーグルアースより

遂に飛行場附近でダウン。
℉君は立案者の責任で一見大丈夫そうに見えたが、
お互い五十歩百歩と思われた。
腹が減り疲れると精神状態も可笑しくなり、
この計画を本気で批難し始めた。

彼は責任上、自分のチーズとクラッカー、貴重な水をくれた。
最後の水である。
逃げ場もなく、前進のほかなし。心配になってきた。
この時、ザックの底に非常食があることに気づいた。
数年前、TやOの両氏を救った由緒ある馬肉の大型コンビーフである。
それにチョコレートにキャラメル。
先刻のチーズとクラッカーの相乗効果で急に元気になって来た。
後は喧嘩も忘れ、一目散に俵坂峠へ。
思ったより早く、日没まで若干の時間を残し17時着。

俵坂バス停

バス停には酒屋がなく、ジュースで乾杯。

 

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