![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/158233164/rectangle_large_type_2_4240a811bb69d633a8ffe1d908efbe09.jpeg?width=1200)
山登り人生VOL448かもしか山行(多良山系縦走)
1969年9月23日から記録を執り始めた山日記をブログで振り返っています。ブログは2021年9月1日から始め3周年を迎えました。
このシリーズ「山登り人生」は、2023年3月29日から始めています。
45歳頃の山登りです。
平成5年度の山行は26回延べ48日と
前年度比7回・8日増と年々増加していた。
親父が倒れ冬山合宿は不参加、謹慎していた中での山行でした。
当時の写真はありません。
No580多良山系縦走(かもしか山行)
平成6年3月12∼13日 11名
12日佐世保駅18:57⇒JR720円⇒松原19:59⇒タクシー1,410円⇒
郡岳西登山口20:30→郡岳22:00→遠目山24:00→
13日岩屋越2:00→つげ尾3:20→経ヶ岳3:40→中山越5:00→6:10金泉寺7:20→
8:20黒木9:20⇒バス480円⇒10:00大村12:00⇒JR800⇒
12:06日宇駅・金剛園
![](https://assets.st-note.com/img/1729116483-7fT4AHcLKbSkwCIVODe2GaRP.jpg?width=1200)
「かもしか山行」響きが良い言葉に以前から温めていた計画であったが、
轟女史の誘いがきっかけで実行することになった。
冬型の気圧配置となり天気を心配しながら決行した。
参加者も気になっていたが佐世保駅7名、日宇駅2名、早岐駅1名、川棚駅1名と11名の大部隊となった。
なぜ「かもしか山行」と言うのだろう。
11個のヘッドランプの灯りが一列になり、滑りやすい山道を進んで行く。
ボッカで慣れた道であるが、夜となると勝手が違う。
注意深くルートを読みながら進む。
鉄塔、崩壊地、坊岩と確かなポイントを通過して郡岳へ。
ここまでは楽勝ムードであった。
![](https://assets.st-note.com/img/1729116600-1k4u02mFOJNRBZTw8XzgPQnj.jpg?width=1200)
暫く縦走すると尾根を離れるが、ここからが不安の始まりとなった。
雲も低くなり、周りもぼんやりとルートが判然としなくなった。
遠目越の標識を見て安堵する。
遠目山前後が一番分かりにくい。
幸いにもテープが短い間隔で付けてあり助かった。
風も加わり防寒着が必要となった。
テープを見失うと、隊列をばらしてテープ探しである。
こんな感じで遠目山を越え春日越に達した。
休憩は殆どなし、休むと寒い。
この暗闇はのんびりムードを打ち消した。
月明かりでのロマンチック山歩きとは程遠い。
岩屋越からは尾根通しで気分的には楽になった。
いつものルートが深夜、雲の中でこうも変わるのだ。
![](https://assets.st-note.com/img/1729117059-YyH3aGbQglpchRB1tUfNvnqk.jpg?width=1200)
つげ尾で二人が下った。
他は経ヶ岳へ。山頂では雪になった。
平谷越への下りはフィックスロープがナビゲータだが、
先が見えないから奈落の底に下る感じだ。
ロープがなければ下る気がしない。
![](https://assets.st-note.com/img/1729117391-5GTYeir2gPDQpHvVnmx8tb63.jpg?width=1200)
平谷越から中山越、笹岳コルから金泉寺手前のコルまでも歩き辛かった。
パーティーも二分したので金泉寺で終わりとする。
小屋でゆっくり腹ごしらえした。
今山、森君が多良岳から戻るのを待って八丁杉に下った。
つげ尾から下った二人は、途中の納屋で仮眠したらしい。
我々が黒木に着く頃に、
タイミング良く二人は岩屋でビールを買出し戻って来た。
早速、反省会となった。
いくつかのパーティーが登り始める時間に、我々はほろ酔い世界となった。
「かもしか山行」は無事終了。
日宇駅で多くが下車し金剛園での反省会が続いた。