1992年版九州百名山㏌よっちゃん54座目八郎岳、55座目金比羅山
いずれも長崎市内の山で各3回登っています。
54座目八郎岳
山と渓谷社1992年版九州百名山 八郎岳冒頭での紹介は、『長崎半島の最高峰であり、長崎市の最高点でもある。半島の山岳のわりには標高が高く峻険なことから、眺望にすぐれ、家族づれから中級者にまで広く登られている。山が深く、野生ジカの生息地としても知られる。・・・』と記しています。Noは山行ナンバーで1969年9月23日からの通し番号です。
1回目No596八郎岳 平成6年10月16日 単独 長崎県庁出向中の暇つぶし登山でした。多分平山から八郎岳→小八郎岳→乙女峠→平山と周回していると思います。
2回目No721八郎岳 平成14年3月24日 3名
平山9:30→八郎岳10:30→小八郎岳11:08→寺岳12:30→12:50為石 新人女性会員を案内しプチ縦走でした。
3回目No1143八郎岳 平成29年6月10日 3名
平山10:35→11:55八郎岳589m12:55→小八郎岳13:20→東尾根(間違い)引返地 点13:50→乙女峠14:30→沢小滝15:10→15:35登山口
四国遍路から戻り3週間になろうとしているのに未だ体調回復せずでリハビリ山行です。山頂までゆっくり登ります。梅雨に入ったのに天気はいいのですが、やはり雲というかガスがかかって視界はあまり利きません。ゆっくり山頂で休んで小八郎岳に向かいました。
四国遍路1200㎞歩きでほっそり体形になっています。
小八郎山頂はヤマツツジが満開です。
ここからお恥ずかしいが方向を180度間違っていました。やはり国土地理院の地図を持参していないとこうなるとの警告です。ネットで簡単な略図は持参していたのですが不明瞭で、現場でなんとなく進んだのが原因です。可笑しいと引き返してタブレットで現在地を確認すると橘湾方面に下っていました。
林道を乙女峠に戻って、西側に谷を下り登山口に戻りました。
これで行動時間は良い具合になりました。ここ八郎岳も都会の山ながら自然が残っているいい山です。
55座目金比羅山
山と渓谷社 同 金比羅山冒頭での紹介は、『長崎市の中央部に位置ずる金比羅山は、標高のわりに展望に恵まれ、眼下に長崎港と市街地が一望できる。かつて、春には盛大なハタ(凧)揚げ合戦が行われていたが現在はファミリーハイクの場として親しまれている。・・・』と記しています。 3回のうち一度は長崎七高山巡りでした。
1回目No243県登山大会(金比羅山・烽火山) 昭和53年5月20∼21日 多数
江平8:10→金比羅神社→金比羅山9:30→仏舎利→烽火山11:25→13:40BC 佐世保から山縣会長ほか3名参加でした。山縣会長は県岳連会長もされており、話を聞くのが楽しみの一つでした。スタートは江平小学校か?
2回目No598金比羅山 平成6年11月5日 単独
長崎県庁に出向し単身生活が始まり本原のアパートから裏山に登る暇つぶしの山行でした。
3回目No1246長崎七高山巡り 平成31年1月13日 単独
諏訪神社8:50→立山公園→金比羅神社→①金比羅山366m9:50→西山高部水源池→②七面山妙光寺→③烽火山426m11:30→④秋葉山250m11:50→妙相禅寺→本河内高部水源池→⑤豊前坊(飯盛神社)13:00→⑥英彦山(標識は彦山)386m13:20→⑦愛宕山230m14:00→風頭公園→14:45諏訪神社
6時間17km行動。累計登り1180m、累計下り1168m。歩行数31,000歩
江戸時代、長崎では正月の2日から15日頃までの間に市街を囲む七つの山をわらじ履きで1日かけて巡拝するならわしがあったそうです。その名も七高山巡り(しちこうさんめぐり)。以前からSNSで気になっていたので、60代も残り一か月となりこれまでの健康に感謝して巡礼して参拝することにしました。桜町の市営駐車場に車を停め、諏訪神社からスタートです。
今回もYAMAP情報でコースを辿りますがコース案内の現地表示はなく3回コースを外しロスしました。諏訪神社には成人式姿の若者が数多くお参りしています。夫婦らしき二人と前後しながら進みアドバイスを受けました。
立山公園を過ぎ金比羅神社へ。
神社を過ぎると大した時間もせず金比羅山に到着です。
これから登る方面を眺めます。
七高山巡りはここから一旦街に下り西山高部水源池横を通って七面山妙光寺、烽火山へと登り直します。烽火山へ登る頃から多くの登山者と前後し明日の成人の日までに巡拝しようという人達で賑わいました。
大まかには3ピークに登るごとに街中に出ます。七面山や秋葉山はピークでなく大明神や大権現であり中腹にありました。
本河内高部水源池を過ぎ番所バス停からの豊前坊への登り彦山までは長崎四国八十八カ所霊場があり「南無大師遍照金剛」と唱えながら登って下さいとの案内がありました。長い石段や岩窟の霊場が印象的です。
最後の愛宕山は街中のこんもりとした頂きで住宅街を通過しながら風頭公園へと続き、若宮稲荷神社、龍馬通り、亀山社中跡までは幕末期を肌で感じる場所でした。
ハイキング程度かと思っていましたが、距離もかなりあり急な登り下りの山道は十二分に山登りを楽しめました。各寺院神社札所ではねんごろに参拝しご利益もあるでしょう。
次回は、56座目対馬白岳、57座目仰烏帽子岳を投稿予定です。
読んで頂けることに感謝です。これを励みに投稿を続けたいと思います。これからもよろしく拝読いただければ嬉しいです。
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