山登り人生VOL264耳川水系木浦谷遡行
1969年9月23日から記録を始めた山日記を振り返っています。
昨年3月29日「山登り人生VOL1」から始め今回の投稿になりました。
私35歳。奥様34歳、長女10歳、長男8歳、次男4歳の頃の山登りです。
昭和59年度の山行は19回、40日と回数は大きく減少しました。
アマチュア無線取得に向け講習会や奥様転職が影響したのかな?
仕事も浦頭引揚げ記念公園募金活動で超忙しかったし、
義父の仕事手伝いが、本業出勤前に
11月30日まで100日間続いていた。
この年、7月二回目の沢登りに出掛けました。
29日ロスアンゼルス五輪開幕しました。
8月5日SAC月例山行(轟の沢登り)不参加
8月夏山合宿(白馬~五竜岳)(大崩山)も不参加でした。
No382耳川水系木浦谷遡行(水呑の頭)
昭和59年7月27~29日 M社長、Y、Sと私
27日佐世保21:00⇒
28日蘇陽町馬見原1:30全面通行止めのためUターン⇒内大臣峡3:00⇒椎矢峠
⇒椎葉ダム⇒5:45木浦橋8:10→木浦谷入渓地8:25→そごう谷出合:20→
950m地点(昼食)11:15→80m大滝下11:47→大滝上12:06→1,200m地点
12:35→ねじれ滝13:16→2段6m滝13:42→水呑の頭14:35→
1,443m三等三角点(下降開始点)16:20→そごう谷出合19:20→19:35木浦橋29日木浦橋8:20⇒国見峠⇒馬見原9:15⇒地獄温泉(入浴)⇒16:00佐世保
耳川は日向市で日向灘にそそぐ二級河川である。
その上流は九州中央山地の北部にあたり向霧立山地(国見岳)、霧立山地(向坂山・水吞の頭)、県分山地等、いわゆる秘境といわれる地域である。
那須大八郎と鶴富姫の悲話は民話「ひえつき節」で広く知られ、鶴富屋敷として伝え残されている。
扇山より流れるそごう谷は、緑をいっぱいたたえて流れる女性的な谷で、
水呑みの頭から流れる木浦谷は滝場が連続した男性的な谷となっている。
27日駆逐艦黒潮慰霊祭の準備などで疲れ果て、一眠りして迎えを待った。
20時過ぎSの迎えで出発。早岐でYを乗せ一路椎葉の里を目指す。
28日馬見原から国見峠経由で木浦橋を目指すが、あと1時間程の場所で全面通行止め椎葉林道経由と4時間の大迂回となった。
木浦橋到着は6時近くとなり予定が少し狂う。
少し仮眠して出発する。
ビバーク予定で出発する。
八代ドッペルの記録では10∼12時間となっている。
林道を10分も歩くと右下の踏み跡を辿ると入渓地である。
ワラジ、安全ベルトを付けて、まだ冷たい渓流に足を入れる。
アブが多い。5年前の尾鈴山矢櫃谷を思い出し嫌な予感がする。
予感は的中し、この後アブやブヨに悩まされる。
谷の方は、早速ゴルジュとなり釜や淵が続く。
この谷は水量が豊富で「当たったね。」とYと話す。
1時間でそごう谷と出合う。
下山はこの谷を下ることになるので頭に入れておく。
この後も遡行図のとおり釜、淵、滝が続き楽しみながら遡行を続ける。
中でも80m大滝へと続く大小の滝、
連瀑帯は最高でここまで来た甲斐があった。
この大滝は多量も水を放出し空中に舞った水は中段で腰を折り、
下部は斜め滝となって、凄まじい勢いで落下している。
しばしこの光景に見とれる。
3分の2程までは直登できそうだが、
この水量では流されそうで右に高巻きする。
上部は一旦単調なゴーロとなって最後の連瀑帯となる。ねじれ滝を過ぎ2段6m滝を登ると、実質的な遡行は終わった。
記録ではこの後水は流れていないが、今日はいつまでも流れの中を登った。忠実に沢を詰め急斜面の草付きに喘ぎクマササ斜面をひと頑張りで霧立越の縦走路に飛び出した。
水吞の頭の三角点は直ぐ目と鼻の先であった。間違えず忠実に沢を遡行し満足感が湧いてくる。
縦走路を南下する。
展望の利かない縦走路で宮崎国体の際に整備されたと言うが、
クマササで覆われすっきりしない。
1時間ほどで展望が利く場所に来たが、
下降点の1443m三角点ピークか判然としない。
深いクマササを掻き分け、やっとのことで三角点を見つけた。
ここから東に向かう支尾根をがむしゃらに藪漕ぎした。
何度か樹に登り確認する。
ルートを見失い悪戦苦闘。
どうにかそごう谷に下った。
単調なゴーロの連続で高度をどんどん下げることができた。
滝、釜、淵をかわしながら木浦谷に戻った。
皆言葉には出さないが、その安堵感は足取りで分かる。
ここからは小径があり15分で木浦橋に戻った。
陽はすっかり落ちて、もう夜である。
棒のようになった足で冷やしていたビールを取りに行く。
一口のビールはいつもに増して最高。満点の星空。こんな美しい星空は最近みていない。今日の遡行の満足感がそう見えるのだろう。
29日8時20分木浦橋を後にする。
国見峠は全面通行止めに反して無事通過できた。
あの電光掲示板は何だったのか。
阿蘇地獄温泉に寄って、Y宅でお世話になって帰宅する。
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