山登り人生vol20初めての左俣ルンゼ
21歳の終わり、青春真っただ中。
翌週の阿蘇高岳赤ガレ谷の訓練のため、初めての左俣ルンゼでした。
No38八丁谷左俣ルンゼ~金泉寺~八丁杉
昭和46年2月6~7日
4名
6日佐世保18:00→19:40
今日一日バタバタする。
皆揃ったので出発する。
黒木野村商店に挨拶し八丁杉に上がるが、
途中からタイヤチェーンを付ける。
営林署作業小屋に泊まる。21時就寝
7日起床5:30 気温-0.5度
夜半はかなり風があったので冷え込んだと思ったがそれ程でもなく、
氷結具合が気になる。
朝食のラーメンで左俣ルンゼに向かう。
八丁杉6:45→7:00F1アイゼン着用7:40-2度
最初の滝でアイゼン着用のため準備を始めた時、
Nさんが様子見で少し上り降りようとした瞬間、
バランスを失い1回転倒する。
鼻の上と頬をケガしており、鼻血が出ている。
どうもピッケルで切ったようだ。Sと二人、リバテープ取りに車に戻る。
簡単な治療で本人意思で今日の沢は中止し一人待機になった。
7:40トップH、ミッテル私、ラストSで登り始める。
アイゼンを付けての沢登りは初めてだったが、少し慣れてきた。
氷結状況は中ほどの二つの滝は良好でアイゼンが歯切れよく決まった。
阿蘇が楽しみである。
9:10最後のナメ滝で終了とする。
今登ったナメ滝を7m下り、
左にトラバースして尾根に上がりアイゼンを外す。9:40
更にトラバースして岩尾根に出て下ると一般道に出た。
まだ誰も登っていない。
真っ白の雪面にトレースをつけ中山峠へ。
10:30、尾根上は雪面に風紋が付いている。
11:10金泉寺12:40で昼食を摂り、下山する。
途中、左俣ルンゼが良く見える木橋の2つ手前の沢で練習。
こちらの方が良く凍っていた。
14:35八丁杉
Nさん、佐世保で中央病院に連れて行き、頬を4針縫うことになった。
怪我人を一人残してはいけないと痛感した。
その後の、私の山行に影響した。
阿蘇の後、翌月にも入渓して氷瀑を楽しんでいます。
No41八丁谷左俣ルンゼ
昭和46年3月13~14日
16名
この頃の左俣ルンゼは氷結することが多く、
氷瀑登攀のいい訓練場所でした。
最近の左俣ルンゼ
昭和の時代に30回入渓しており12回は氷瀑登攀、18回は岩登訓練でした。
平成になり更に6回ですが氷結することが無くなりました。
温暖化のせいか樹木成長など環境変化かわかりません。
令和元年7月に入渓したときは、岩登りしていた滝は苔むしており、もう左俣ルンゼは終わった感じになりました。
タイトル写真は左俣ルンゼの最後奥壁になります。
令和元年7月時の様子を添付します。
苔むしている滝が昭和の時代は氷結していたのです。
昭和46年時の写真なく恐縮です。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?