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山登り人生vol17初めての経ケ岳南壁

21歳、青春真っただ中。

山日記にはこれだけの記述です。
『No30岩登合宿(経ケ岳南壁・笹岳西壁)  
昭和45年10月31月~11月3日
17名(名前省く。)
10/31 佐世保⇒八丁杉→金泉寺
11/1 金泉寺BC→五家原岳→黒木→経ケ岳南壁(見物) 私とSのみ
11/2 BC→経ケ岳南壁(中央凹角ルート・ノルマルルート)
11/3  BC→笹岳西壁(峠岩場で確保訓練)→BC
見学しか許されず歯がゆい思いをするが、2日目に経ケ岳南壁中央凹角ルートなどを登る。ミシンを踏む。』
・・・
と思ったらここでも手書きメモが出て来ました。

手書きメモより

10月31日 佐世保17:30⇒八丁杉19:15→20:15金泉寺(4名) 
11月1日 金泉寺7:30→五家原岳8:45→横峰越9:10→黒木10:25→
     つげ尾11:50→12:05南壁15:50(見学のみ)
     →16:45金泉寺
11月2日 金泉寺9:00→中山越9:50→10:10南壁17:20(岩を登る)→18:10金泉寺
11月3日 金泉寺8:20→8:40笹岳13:00(確保訓練)→13;20金泉寺15:00→15:25
     八丁杉⇒佐世保

行動記録

31日 17時ある事業所で女性2人を乗せ、佐世保駅で岡先輩の乗せ大村八丁杉に向かう。最終バスを利用したO先生が一人歩いている。八丁杉から5人で歩く。ガレ場は知らないうちに直登ルートに入っていた。
20時15分金泉寺到着。T先生他高校山岳部員らは午前中から登っており、土間でダベっていた。その後、職域山岳部の面々が登って来た。
22時就寝。

1日、5時起床。
それぞれのグループで朝食の準備。メニューもご飯,・味噌汁、ダゴ入りラーメンなどまちまちである。
高校生の後を追い五家原岳に向かう。五家原岳で高校生と別れ単独で下る。膝に痛烈な痛み。何度か座り込みゆっくり下る。
黒木の民宿には労山の人達がキャンプしている。集中登山らしい。
このグループと前後してつげ尾の登り。ペースが乱れきつい。
南壁に下る道でまた膝が痛む。南壁で先輩達の岩登りを見学。
数名は下山する。
南壁から金泉寺へは重い私のザックは先輩が軽いザックと変えてくれた。
16時45分金泉寺着。
夕食に華を添えたブランディー。話の華も咲いた。

2日、5時起床。
朝食は味噌汁に五目飯。
岩に行く先輩達の食事が済んで、
その後、昼食のおにぎりを作って我々も南壁に向かう。
中央凹角をKさんが登っている。上でH先輩が確保、下ではDさんが見守る。長崎大学山岳部の学生はBフェイスを登っている。乗越で宙ブラリになった。難しいようだ。
Kさんは登り切った。懸垂下降で降りてきた。
H先輩が気を遣ってくれ私とSを登らせると声を掛けてくれた。
トップはH先輩、ミッテルに私、ラストがSである。
上から下からいろいろアドバイスが飛んでくる。
Kさんが苦労した箇所もすんなり登った。
大きな足場ではホットする。
途中小さな足場で足が大きく震えて止まらない。
ミシンを踏むと言うらしい。
この先も足場は小さく体が動かない。
やっとのことでテラスに着いた。
次にラストのSを登らせる。彼も同じように苦労して登って来た。
懸垂下降で下る。

懸垂下降する私
この後も指導をいただいたH先輩

12時を回り昼にする。おにぎりが美味しい。あっと言う間になくなる。
昼からはH先輩・D先輩は、
先ほど大学生が宙ブラになったBフェイスを登る。
私達はY先輩のリードでノルマルルートを登る。
割と楽に登ったが、ザイルの掛け替えで手間取った。
この時も足が震えた。
私はこの2本で十分だった。
それぞれがいろんなルートを登り、夕陽が沈む頃南壁を後にした。

BCの金泉寺山小屋

今夜の夕食はカレー、皆さん食欲旺盛。岩登りが充実し話も弾む。

3日、6時起床。
T先輩の6時だぞーの声で立ち上げる。
朝食はゴハンとダゴ入りラーメン。何人かで作る。
8時10分、体操して笹岳に向かった。
先輩たちは何本かのルートに取り付いた。
ハーケンを打ったり、アブミに乗ったり、宙ブラになったりとかなり苦戦していた。新しいルートも開拓していた。
私とS等新人は笹岳コルの5m程の岩場を登り確保の練習をした。
突然、先輩が落ちた。
グリップ確保では停止したが、肩がらみではなかなか止まらない。
上体が倒れてしまう。
小雨模様となり13時過ぎに金泉寺に引き上げた。
15時、3日間お世話になった金泉寺を後にする。

所属する山岳会のメンバー構成

構成は二分化していました。
一つは職域山岳部所属し技術的にも経験値も高い纏まりのあるメンバーと
それ以外のメンバーです。
それ以外は縦走主体で経験が浅いものが多く私はこちらに属していました。
この山行でも、入会1年目の私は、まだ早いと岩登りには参加できません。
初日は縦走し下って経ケ岳南壁に登り見学だけです。

2日目に見かねた職域の方が登らせてくれました。
当時はドタ靴(冬用登山靴)で登っていました。

この岩場にはあまり機会は、ありませんでした。
その後は2回しかなく、この岩場は県内岳人からも忘れ去られました。
今は登るクライマーはいません。

その後の南壁

No66国体反省会経ケ岳南壁 昭和46年11月6~7日 6名
No145経ケ岳南壁     昭和49年2月23~24日 私ほか

タイトル写真は2019年3月、舞岳から見た経ケ岳南壁です。
その時、忘れられた南壁の様子も見て来ました。
写真を添付します。

大ハングルート
昭和45年、懸垂下降した壁
昭和45年、左側の凹角を登りました。
ここは比較的易しいコースです。
この壁で一番易しいノルマルコースでしたが、苔むしていました。
ボルトは残っていますがツタの根が張っています。

2022年5月笹ケ岳西壁の様子です。
昭和45年は見学だけでした。
先輩達はどこを登ったかは不明。
私はこれまで取り付いていません。

笹ケ岳のコル。右手、木で隠れていますが5m程の壁で確保訓練でした。

この岩場の機会は少なく、もっぱら武雄御船山、阿蘇鷲ヶ峰が中心となっていました。

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