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山登り人生VOL288九州国体準備(踏査コース整備)

1969年9月23日から記録を始めた山日記を振り返っています。
昨年3月29日「山登り人生VOL1」から始めもう直ぐ1年、
今回の投稿になりました。

私36歳。奥様36歳、長女11歳、長男9歳、次男5歳の頃の山登りです。
昭和60年度の山行は28回56日と月2回ペースになった。

九州各県で持ち回りしている国体九州ブロック予選会「九州国体」は、長崎県が主管し開催されました。
山岳競技は山岳連盟が担当で、最終コース整備に向かいました。

 No405九州国体準備(多良山系)

昭和60年8月31~1日  T君、Sと私
31日小嶽小屋で打合せ。
01日T君は板川内の岩場(登攀競技会場)の整備17時まで
  Sと私は踏査コースの点検

岩屋口9:40→岩屋越10:30→春日越11:40→遠目山→遠目越13:20→北川内13:50→14:20黒木小学校

 最終打ち合わせを行うと連絡が入り小嶽小屋に3人で出向く。
スケジュール、役割分担を確認する。
台風13号は神風のように抜けて行ったが、
後を追うように12号がやって来て夜中は結構な雨量であった。

1日は諫早山岳会メンバーが来るのを待って、手分けして現地に向かった。
T君等、国体成年男子組は登攀会場へ。

Sと私は、踏査コースを歩く。
岩屋口から登るのは10数年振り。
コースの邪魔になる木枝や草などナタや鎌で切りながら登る。
稜線に出ると3年前の県境縦断を思い出す。

春日越の縦走路

台風13号は多良山系を傷だらけにしたようだ。
春日越∼遠目山∼遠目越の間は伐採が進み林道が延びて、
昔のような登山路は消えてしまった。

昼食後は大粒の雨が降り出し視界も悪くなった。
これでは選手は確実に間違えるとコースを指示するテープを
長く張り詰めた。
責任者がどう判断するか?踏査コースだから不要と言うのか。

遠目越からの下りははっきりした路だった。
佐賀県嬉野と長崎県黒木を結ぶ重要な峠路だったのだろう。
石積みの場所も随所にあった。
藪漕ぎすることもなく北川内の民家庭先に飛び出した。

雨が降ったり止んだりの不安定な一日、役目を終え小嶽小屋に戻った。
来週、いよいよ本番である。

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