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山登り人生VOL364九州58座最後の頂「祖母山系障子岩」踏破

1969年9月23日から記録を執り始めた山日記をブログで振り返っています。ブログは2021年9月1日から始め2年10ケ月、
このシリーズ「山登り人生」は一年経ちました。

39歳頃の山登りです。
昭和63年度はメニエル症候群を発症した中ですが
会では創立35周年事業「九州58座踏破計画」で大いに盛り上がり、
来年のマッキンレー遠征計画も動き出し
7月からはトレーニングが始まり打ち合わせも続き参加してきました。

しかし、11月の職場異動で大きな転機を迎えます。
年末年始の冬山合宿富士山を最後にマッキンレー辞退申し入れました。

九州58座踏破の状況

11月まではVOL359で報告済です。

12月~1月にかけ6座が踏破されました。
No51国見山1036m 松川夫妻他2名
No52高塚山1296m 松川夫妻他2名
No53市房山1375m 松川夫妻他2名
No54丸笹山1375m 辻夫妻他5名
No55黒岳 1455m 辻夫妻他5名
No56祖母山1756m 本田他2名

残る大崩山には直塚さん他4名が向かい、我々は障子岳に向かいました。

No485九州58座最後の頂「祖母山系障子岩」踏破と鞍岳

元号が平成になった最初の山行です。
平成元年2月10∼12日 K君と私
10日佐世保22:20⇒武雄から高速
11日1:20菊水SA6:00(濃霧で走れず待機)⇒熊本IC⇒8:00上畑
  出発9:20→11:20P1204m→山頂手前12:50ウロツク→障子岩13:25→
  上畑16:00⇒黒川温泉⇒19:00瀬の本駐車場

11日大山山行が中止となり、
九州58座最後に残された障子岩をK君と二人目指すことにした。
仕事では居残りが続きメニエル的症状が出て来る。
症状が出るとヤバイと頑張らないようにした。

阿蘇谷に入ると白衣を纏い高岳北尾根も素晴らしい威容を誇っている。
外輪山を登り詰めた田園風景も雪が残っているが、
竹田市街地に入ると全く消えてしまった。

登山口上畑に車を止め先ずは腹ごしらえ。
体調も悪く軽い荷物で登る。
熊騒ぎが紙面を賑わせていたが信じられない。
標高1400m以上が雪を被っているようだ。
健男社の下手に古びた道標があり、
コンクリート道を登ると山道となり植林地の急な登りとなる。
2か所沢を横切り再び急登である。
樹間に見える障子岳~祖母山のスカイラインは
祖母山系ならではの威容である。

標高1000m位より雪を踏み分けての登りとなった。
約2時間、P1204m付近を過ぎるとクマザサが被さる道となる。
雪がたっぷり。雨具を着てクマザサのトンネルに突っ込む。
「前障子岩へ。祖母山へ。」の指導標を見て、上り過ぎたのかと心配しながらウロウロする。

山頂は縦走路から外れていた。
雪が積もった岩稜はメニエルが抜けない私には嫌な感じであった。
丁度4時間で山頂に立ち一等三角点を確認した。

雪がない時の岩稜

下りは往路を引き返した。
集落のエントツは椎茸の乾燥施設だった。
帰路方向に車を走らせ、
黒川温泉の露天風呂で汗を流し、瀬の本高原駐車場で泊まることになった。

12日出発8:30⇒山なみハイウェイ⇒登山口10:10→鞍岳10:45→11:15登山口⇒
  旭志村⇒菊池⇒17:00佐世保 

12日随分と冷え込み九重山系は霧氷が付いているようだ。
K君は久住希望であったが、
元気ない私はハイキングで行ける鞍岳を選びお願いした。
鞍岳は九州58座の一つだが既に馬田君が登っていた。
展望が素晴らしい山だった。
東側は外輪山へ続く高原が、西側は熊本平野が広がっていた。

遠くに九重連山をのぞむ。

今回の山行は疲れた私を見かねて、
車の運転や食事の段取りなど全てK君がやってくれた。

2月28日 佐々ジョギングフェスティバル 宗兄弟講演。長男7分2秒。
3月17日 長女中学校卒業

 

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