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山登り人生VOL250左俣ルンゼ通いと南壁

1969年9月23日から記録を執り始めた山日記を振り返っています。
昨年3月29日から「山登り人生VOL1」から始め、今回の投稿です。
私34歳。奥様34歳、長女9歳、長男8歳、次男4歳の頃の山登りです。
昭和58年度の山行は32回、49日と回数日数とも大きく増加しました。
経ヶ岳左俣ルンゼには。この年度だけで4回も入っていた。

No348経ケ岳大払谷∼左俣ルンゼ下降

昭和58年5月22日 多数
創立30周年記念祝賀会の翌日に
1月22日投稿済山登り人生vol236

No366経ケ岳左俣ルンゼ

昭和58年12月4日 M社長、T君、K女史と私

T君の報告より
『富士山冬山合宿に向けてのアイゼントレーニング。
F7まで登り、F7上部の斜面に
ロープをフィックスして登下降の練習をする。
初めて練習する場所としてはちょっとキツイが、
K女史は「登りたいけど、死にたくない。」と言って、
一生懸命頑張っていた。
僕は、こんな人が好きだ。』

No368経ケ岳左俣ルンゼ

昭和59年1月29日 I、Mēと私
黒木10:10→左俣ルンゼ→12:40F5大滝13:00→稜線14:00→15:30金泉寺16:15→17:10黒木
Mēさんは久住に備えてボッカとの話だったが、
最近の冷え込みで氷瀑登攀が楽しめますよと、
左俣ルンゼに行くことになった。
黒木までは雪はなく、車はすんなり入ることができた。
八丁谷まで来ると雪もたっぷり。
30㎝以上の積雪である。
左俣に入ると私達が一番乗りでルンゼ取付までラッセルとなった。
氷結状態もまあまあである。
F2から大滝、その上部のスラブと快適に登る。
チムニー滝は、2m程デブリに埋もれ、
階段状の氷にアイゼンを気持ちよく蹴り込む。
大滝でアイスハーケンを打ったら7∼8cmの厚さであった。
最後の壁は、左側が氷瀑となっている。

時間がないので氷を避け稜線にでる。
中山越に出て金泉寺へ。
野田のばあちゃんに新年の挨拶をする。
もう75歳とか。氷点下の日は身体が堪えると話した。
火にあたりながらも身体は冷えるばかりで下山することにした。
久し振りの大雪の多良を楽しみ満足の一日だった。

No373最後の氷瀑左俣ルンゼと最後の南壁  

昭和59年3月11日 Ms、T君、K女史と私
黒木9:45→取付10:30→12:30経ヶ岳南壁15:30→16:30黒木
久し振りの岩登り、南壁に行こうと黒木に向かう。
Y会長らの入山しているはずだが会えなかった。

Msと私、T君とK女史でザイルを組む。
お互い競争心を起こし左俣ルンゼはあっと言う間に登る。
T組に追い上げられ胸がはち切れそうだ。
舞岳尾根には残雪があり固くなっている。
南壁ハング下で焚き火をして昼食。

私の組はノルマルと中央凹角第2テラスまで、

最近の中央凹角

T組はダイレクト(ハーケン状態悪く途中退却)とノルマルを登った。

最近のノルマルルート。苔むして登る人はいない。

訪ねるクライマーは少なく、
ハーケン・ボルトは打ち直す時期になっているようだ。
また出直して来ようと話も弾み、足取りも軽く下山した。

帰り竹松のMk宅に寄ったが留守、
大野のS宅は連絡がとれず、
飲みたい気持ちは収まらずMs宅で夜遅くまでの酒宴となった。

左俣ルンゼで氷瀑登攀を楽しんだのは、
この年この山行が最後で、環境の変化か平成令和とその機会はなくなった。
5回目の左俣ルンゼでの氷瀑登攀だった。
氷瀑以外ではこれまで28回入っており令和元年7月が最後となっている。

また南壁も「また出直そう」と記録しているが、
これが7回目で最後となっている。

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