見出し画像

山登り人生VOL497インドヒマラヤサトパント峰遠征その2

1969年9月23日から記録を執り始めた山日記をブログで振り返っています。ブログは2021年9月1日から始め3周年を迎えました。
今年10月2日連続投稿が1126日で途切れましたが、
気をとり直し連続投稿に挑戦しています。

このシリーズ「山登り人生」は、2023年3月29日から始めています。
この投稿、48歳頃の山登りです。
平成9年度の山行は18回、65日
前年度比7回・36日増とサトパント遠征で日数は大きく増加しました。

2年前から準備してきたインドヒマラヤへの挑戦です。
この報告は、「ヒマラヤ7,000m峰への挑戦と挫折」として12回に分け、2022年7月24日から9月15日の間に投稿しています。

今回は日程中心に概要を投稿します。 

No644サトパント峰遠征その2キャラバン5日間ベース入り


平成9年8月3∼7日
ポーター30名+高所ポーター2名+コック1名+アシスタントコック2名+
エゾンオフィサー+隊員9名合わせて45名にのぼるキャラバンとなります。

8月3日ガンゴトリからボジュバスへ

14km行程。
私物の殆どは、ポーターが担いでいる。
担ぐのはサブザックに
カメラ、タオル、水筒、若干の食べ物と貴重品を担ぐぐらいである。
たいした重量ではない。

ガンガの流れを見ながら歩く。
崖っぷちを歩いたり河原を歩いたりのキャラバンである。

ケシの花

至る所に高山植物が咲き乱れている。
カーブを曲がったところでバギラティが見えた。
途中、渡渉個所が出現。雪解け水で冷たいことこの上ない。
流れに足を取られないように注意して渡る。

休憩場所の茶屋

16時過ぎ、標高3792mのポジュバスに到着。
ツーリストバンガローに泊まる。
ここまでがベットで寝られる。後はテント生活だ。
バンガロー上部の何軒かある茶店も、一般人の宿泊所にもなっています。

ポジュバスの集落。奥にバギラティ峰
ポジュバスの集落

8月4日(快晴)ボジュバス滞在。

各自、高所順応のトレーニングを行う。
右岸の丘には青いケシの花が咲いている。
川原にはガーネット(ざくろ石)を含んだ石が転がっている。

高山病でBCから下山し
13日夕から本隊が戻る21日までお世話になった場所です。 

8月5日(快晴)ボジュバスからナンダンバン

標高4,400mへ。行程12km。
シブリン6543mの素晴らしい山容に圧倒されながら、

またバギラティパルバットⅠ峰6856m・Ⅱ峰6512m・Ⅲ峰6454mの雪の山群を眺めながらキャラバンは続きます。

出発から1時間程でガンガの源流、
ガンゴトリ氷河の末端ゴームク3892mを通過します。
ここまで沐浴に来る熱心なヒンドゥー教信者もいるそうです。

氷河末端ゴームク3892m

岩にはシバ神が描かれており、色とりどりの旗が風にはためいている。
ここからは氷河とモーレン帯(氷河によって運ばれた岩や土砂によってできた荒地)を、ひたすら歩き続けます。

急斜面を登ったところが本日の宿泊地ナンダンバンで13時前に到着する。
高原のお花畑といった場所です。右手にシブリンが銀色に輝く。
綺麗な衣装の女性を含めたヒンドゥー教徒の家族らしい人々がキャンプしている。
ゴームクやナンダンバンまで修行に来られるのは裕福な人に限られている。この頃から体調に変化が出ていました。
高山病の前兆が出ていたのです。 

8月6日(曇りのち雨)ナンダンバン滞在。

高所順応トレーニングを兼ねてBC近くまで往復します。
チャトランギ氷河左岸のサイドモーレン上のルートを辿ります。
途中細い川の流れがある所では、
色とりどりに高山植物が花を咲かせています。

グーグルアースより

私は順応していません。
ナンダンバンは河岸段丘面で、起伏が殆どない広い場所です。ボーットしている時間が長くなりました。このナンダンバンから眺めるシブリンやケダルナート6831mの眺めも素晴らしい別天地ですが、記憶はとんでいます。

 8月7日(快晴)ナンダンバンからBCとなるバスキタールへ

標高4800m。8km行程。
サイドモーレンをビスタリズムで歩く。

本日の行程でバスキパルバット6792mから流れ出ている小さな氷河を渡らなければならない。そのため急斜面を降下し、最後は対岸の急斜面を登り終えた場所がバスキタールだ。
10時過ぎ遂にBCに到着。

グーグルアースより

各自、自分達のテントを張る。隊員は2人用のテントだ。
ここまででポーター達は下山してしまう。
高所ポーターは2名だけであり、
キャンプ2(C2)までの荷揚げと平行しての登山活動では、
人員不足ということで急遽富山山想会(1990年)で高所ポーターを経験しているポーターを雇う。
ただし高所ポーターといっても
サトパント峰ではC2までしか登らないと言う。
その先は険悪なナイフリッジになっているからだと言う。

午後、食堂テントとキッチンテント間にロープを張り、日の丸とインド国旗を掲揚する。もちろん長崎西高同窓会のサトパント峰遠征隊用の旗なども
一緒に張る。

このバスキタールはやや窪地になっており、
テントを張り巡らせた前面には浅いながらも広い天然の池がある。
この池の露岩に、コックは何やら白い粉(食塩)をのせている。
暫くすると山羊が小さな群れをなして舐めにやって来るのだ。
群れは次から次に現れ、多い時では100頭近くまで増えている。
群れの中に黒い角が一際長い山羊がいる。
この山羊のボスだろうか。威風堂々としている。
この後も何回かこのような情景を目撃することになった。

夕方BC開きを行う。
レミーマルタンが開封されたが、飲む元気はなかった。
完全に高山病の症状がでていた。

 

いいなと思ったら応援しよう!