山登り人生vol24春山合宿穂高連峰その1
22歳の春、青春真っただ中。
山日記には詳しく記述しており3回に分け投稿します。
その1は計画段階から出発までです。
山岳会に入会して2年目ですが、会運営が揺れ動いていた時期です。
No46春山合宿(穂高連峰)
昭和46年4月27日~5月3日
8名(氏名は省く)
4/27 佐世保(急行西海1号)⇒
4/28 大阪(急行比叡)⇒名古屋(急行赤倉)⇒松本(タクシー)⇒上高地→徳沢幕営
4/29 停滞
4/30 涸沢BC入り
5/01 白出のコル→奥穂高岳登頂
5/02 北穂高岳→涸沢岳手前のコル→BC→上高地(バス・汽車)⇒松本信州会館
5/03 松本(急行ちくま1号)⇒名古屋⇒大阪(臨時急行西海52号)⇒
5/04 佐世保帰着
計画段階
今度の合宿は、山岳会の中で一般会員と職域会員合同では最後になるかもしれない。
心中複雑である。
我々が入会する以前からの問題であるが、職域山岳部員の中で急速に独自活動の意向が強まっていた。
一般会員との山行が負担になっていたのです。
2月例会で職域山岳部の春山合宿が鹿島槍ヶ岳で行われると発表され、我々には参加の余地はなかった。
一部、職域の人達にも一般会員を心配する人もおられた。
そんな中、一般女子会員の中に北アルプスでの合宿希望が芽生えていた。
これを受けM先生が参加者を募ると男性を含め10数名が手を挙げた。
日が経つにつれ鹿島槍ヶ岳への我々の参加は絶望となり、穂高合宿を我々の手で計画するとなっていった。
穂高への希望者は男性3名、女性4名で、新人が多すぎるなど実施が危ぶまれた。
鹿島槍ヶ岳から降ろされた二人、難しい立場にあるKさんが穂高合宿に参加することになった。
彼らの参加で計画は進むようになった。
日曜毎にトレーニング計画を立てていたが、全員の実施は出来なかった。
ボッカができなく、岩や沢が主となった。
出発日が近づくにつれ脱落者がでてきた。
最終的には4月14日総会で確定した。
SL、SLが決まり、実質リーダーのM先生他、私の7名である。
19日K宅で最終確認をM先生、Sに私の4名で行い臨むことになった。
25日食糧買出しを行いペミカン作りに励んだ。
いよいよ出発の日だ。
27日 17時までの仕事を終え、佐世保駅に飛び込む。
妹二人が来ていたので着替えを渡すのも気忙しく辺りを見渡すと、鹿島槍ヶ岳組の二人がが改札口を入ろうとしている。
直ぐその後に続く。
改札口前の列車前に皆座っている。そこに荷を降ろし、見送りの皆さんと話す。発車まで暫くあるが、一人まだ来ていない。
計画段階から迂用曲折があったこの計画も、いよいよ始まるのである。
会長他たくさんの見送りを受けて17:32西海1号で佐世保駅を後にした。
差し入れはアルコールが多かった。
新聞発表によると今度の連休は、良い天気に恵まれないようだ。
まあ、どうにかなるだろう。
夜行列車ではいつも見られる格好である。
鳥栖でウドンを食べ一安心。
皆思い思いに時を過ごす。
次回は、入山から奥穂高岳登頂までを投稿予定です。