1992年版九州百名山㏌よっちゃん36座目浮岳、37座目尾鈴山
いずれの山も30歳での初登です。山岳会に入会して10年目、浮岳はハイキングでの登山、尾鈴山は沢の中での野営と高揚した沢登り後のピークハントでした。詳しい記録がないのが残念でなりません。Noは山行ナンバーで1969年9月23日からの通し番号です。
36座目浮岳
『福岡・佐賀の県境を東西に連なる背振山地の西端にあり、女岳、十坊山の両山を東西に控えた円錐状の秀峰である。福岡県側からはこの秀峰を望める地域は少ないが、佐賀県側の虹ノ松原や唐津方面から、また洋上からは、「筑紫富士」の別称で呼ばれる本峰がよく望め、航海の目印ともされていた。・・・』と山と渓谷社発行の1992年版九州百名山「浮岳」冒頭に案内されています。これまでに4回登っていますが、記録は登った事実だけです。4回とも十坊山(とんぼさん)とセットの山登りです。
1回目No263十坊山~浮岳 昭和54年3月11日 11名 福吉駅→十坊山→白木峠→浮岳→荒谷峠→? 月例山行での山登りでした。記録がないと43年前はなかなか思い出せませんが汽車かバスで福吉駅まで行き、十坊山に登り浮岳まで縦走しました。リーダーはヒマラヤ・ダウラギリ遠征隊隊長の松村先生でした。開業医で土曜午後休診、日曜休診と短い時間での山登りはお手の物で、この山行も先生の企画だったと思います。浮岳から東に荒谷峠に下り大入駅か福吉駅方面に向かいましたが苦労した気がします。今ではマイカーで行き身近な山ですが、この頃は近くて遠い山だったと思います。写真は平成18年時、十坊山から浮岳です。
2回目No569十坊山~浮岳 平成5年9月12日 3名
白木峠10:00→十坊山→白木峠→浮岳11:55→白木峠⇒樫原湿原 1回目と違いマイカーで白木峠まで行っての登山で楽だったでしょう。 「浮岳ではM君と出会う。あれ以来の再会でいやなものであった。ダニにやられる。」との記録のみです。「あれ以来」とは、ある会員が除名となり、その会員が当該山岳会を裁判に訴えたことです。その会員の仲間がM君でした。長年山岳会に所属しているといろんな事がありました。
3回目No713十坊山~浮岳 平成14年2月3日 2名 4週連続山行。 この頃は現役時代一番忙しい頃でしたが1月から6月にかけ23週連続で山に行っています。連続に拘ったのでしょうね。記録はなくまむし温泉に車を止め周回したと思います。
4回目No857十坊山~浮岳 平成18年12月10日 3名
白木峠9:50→十坊山→白木峠→12:30浮岳13:40→白木峠15:00⇒15:30ななの湯 職場仲間との登山でした。今回は鳴神温泉ななの湯で汗を流しました。
37座目尾鈴山
『宮崎県中東部の都農町、川南町、木城町、東郷町に囲まれた尾鈴山は、太平洋からいきなり1400mの標高で立ち上がった独立峰で、大小三〇あまりの名瀑が美しい渓谷美をつくっている。開発が進んだとはいえ、登山道周辺にはまだ照葉の原生樹林が残されており、なかでもコウヤマキやオスズカンラン、キバナノツキヌキホトトギスは有名だ。登山口には九重頭というキャンプ場があって・・・』と山と渓谷社発行の1992年版九州百名山「浮岳」冒頭に案内されている。
これまで1回のみの登山です。昨年登る機会があったんですが膝不調で山は断念し九州オルレ小丸川コースを歩き矢研の滝まで散策しました。尾鈴山は瀑布群が天然記念物に指定されています。
No271尾鈴山矢櫃谷遡行と尾鈴山登山 昭和54年8月11~14日 6名
矢櫃谷は尾鈴山の西に位置する小丸川支流の谷で、初めて渓谷での野営を経験する沢登りでした。この後、東側に廻り込んでピークハントしていますが、記録文がないのは残念です。12∼13日沢登り、14日尾鈴山登山。
写真の前後関係は不明です。
尾鈴山瀑布群の矢研の滝
No1486九州オルレ宮崎・小丸川コース後の矢研の滝散策 令和3年12月17~19日 単独(3名は尾鈴山登山)
17日佐世保⇒23:30尾鈴山キャンプ場
18日キャンプ場発⇒比木神社(九州オルレ小丸川コースを歩く)→ゴール鴫(シギ)野の浜⇒比木神社⇒同キャンプ場14:30→若葉の滝→矢研の滝→15:25キャンプ場(尾鈴組戻り15:50)
19日 帰路
尾鈴山に同行したかったが尾鈴山から矢筈岳、白滝瀑布群と周回すると言うので膝不調や近くの九州オルレ小丸川コースを歩くと九州オルレ23コースが完結することもあり山は断念した。オルレを歩いたあと尾鈴山組がまだ帰着していなかったので矢研の滝まで往復しました。昭和54年時にも覗いているはずです。
二晩泊まったキャンプ場と山に登った仲間の山頂での写真です。
オルレゴールの鴫野の浜は太平洋が一望できました。見慣れていない眺めに満足したオルレコースでした。
次回は38座目大箆柄岳、39座目背振山を投稿予定です。