山登り人生vol174恐怖の三ノ窓尾根(剣岳合宿)その2
私32歳。奥様31歳、長女7歳、長男5歳、次男1歳
昭和56年度は8年振りの職場異動からスタートし、奥様の就職、次男の交通事故と変化の年でしたが、山への回数は25回・47日と増えだしました
2年振り剣岳合宿からスタートしました。
7回に分け投稿します。
その1は、概要(先発隊のタイム記録)です。
昨日11月2日投稿しました。
今日はその2として「恐怖の三ノ窓尾根」を投稿します。
No299春山合宿剣岳
昭和56年4月28日∼5月6日
先発隊:M、Tと私
28日出発
佐世保18:32(特急寝台あかつき2号)⇒
29日除雪進んでおらず弥陀ケ原から歩き
大阪7:05(特急雷鳥1号)⇒富山12:10(富山鉄道)⇒立山13:25(ケーブル)⇒
美女平13:40⇒弥陀ケ原14:45→室堂17:10→17:50雷鳥沢(幕営)
30日悪天のなかBC入り
出発9:00→11:00剣御前小屋(雨天待機)14:50→剣沢15:30→17:00真砂BC
01日疲れでゆっくり起床。雪崩多発。
出発8:50→北俣9:20→三ノ窓尾根退却12:30→15:00BC
29日雷鳥沢入り
富山平野はもう田植えが始まっていた。
佐世保より半月は早い。
立山駅から美女平までケーブルで登る。
まだ閑散としていた。
バス乗車時の計量は三人とも26~27kgだった。
バスは称名の滝見台で一度停車し、6~7mの堀割り道路を登って行く。
バスガイドの案内によると、今年の積雪量は平年の2倍らしい。
まだ除雪が進まず弥陀ヶ原が終点となっていた。
バスを降り車道を暫く歩くが、車道を外れいよいよ雪面を歩く。
トレースは真っすぐ延びている。
雪が腐り、ズボズボとぬかり歩き難い。
除雪されていれば歩かなくて済む室堂まで2時間半もかかった。
ここから仕切り直しの感じで雷鳥沢まで最後のアルバイトで下った。
スキヤキで入山を祝う。
30日真砂沢BC入り
夜半から降り出した雨は、朝になっても止まない。
ミゾレ混じりの雨の中を出発する。
時折強風が吹きつけ、立止まって耐風姿勢を取る。
昨夜執った天気図では、昼頃に低気圧が通過するはずである。
尾根に出て更に強まり、アラレが頬を叩く。
堪らず剣御前小屋に逃げ込んだ。
小屋に入ると真っ暗で何も見えない。
鳥目が収まると奥にストーブがあり、休憩して衣服を乾かすことにした。
ゴアテックス雨具のT君は濡れていないが、私とMは下着まで濡れていた。
小屋では登山届を提出し諸注意を受けた。
小屋でウドンを食べ、衣服も乾き、雨も小降りになってきた。
元気も回復し小雨の中、真砂沢向け小屋を出た。
雨で弛んだ雪は、膝までぬかりくたびれる。
平蔵谷出合まで来ると雨もあがり、青空がのぞいて来た。
明日は晴れるぞと気分は晴れるが、足取りは重い。
ヘトヘトになって真砂沢に着く。
テントは2~3張あった。
早速、雪踏みで雪面を固めブロックを取りながら掘り下げる。
四日間の立派なBCが出来上がった。
テントに入り、また衣服の乾かしである。
靴には新聞紙を詰め乾かす。
1日恐怖の三ノ窓尾根
昨日と打って変わって素晴らしい天気だ。
三ノ窓尾根を途中まで登ることにして出発する。
陽があたり始めると、
アチラコチラの斜面でドドーンと鈍い音をたて雪崩が落ち始める。
左右に気配りしながら北股から三ノ窓谷に入ると、
八ツ峰の東側が見えて来た。
雪崩は更に頻発し、いたるところ滝のように落ちる。
過大表現ではない。この状態は昼過ぎまで続いた。
三ノ窓尾根末端を右に巻いて、ちょっとしたコルまで雪の斜面を詰める。
今度はコルから尾根に向かって、急峻な斜面が続いている。
先行男女二人パーティーのトレースを辿り、
小さなクレバスを越えると更に斜度は強くなった。
振り返って仙人山を眺めると底雪崩が出ている。
さあ登ろうとしたその時、先行二人の足元から雪崩が発生した。
放射線状に雪が落ちて来る。
方向を見極め左に逃げる。
表層雪崩で人を埋めるものではなかった。
暫く様子見して再び登り始めたが二回目の雪崩が発生した。
一回目より大きい。逃げる。
落ち着いてからザイルを付け尾根に逃げる。
立木で確保してスタカットで尾根を登り切るとテラスに着き、
先行の二人も休憩していた。
心臓が早打ちしている。
落ち着いて八ツ峰に目を向けると、稜線を行くパーティーが確認できる。
その下をカモシカが歩いているが足元から雪崩る。
今日は帰りなさいと進言していると感じた。
先行二人が登り始めた。
我々ももう少し登ろう。
スノーブリッジを渡り、平均台のようなリッジを四つ這いのように登る。
その先の雪稜は、三ノ窓谷側が切れて雪庇が出ている。
小窓谷側を登る。
小雪壁を越えトラバースしながら行くと、
また雪崩そうな急斜面が出て来た。
昼を過ぎている。
未練は残るが退却を決めた。
登ってきたトレースを慎重に下降して、
先ほどの小雪壁の上まで戻って来た。
ここでザイル二本をつなぎ確保して一人づつ下る。
三回繰り返し安全帯のコルまで下って来た。
200m以上の斜面だった。
コルからは三ノ窓谷まで尻セードで飛ばした。
今日一日は肝を冷やし、神経をすり減らし、緊張の連続であった。
二年前の小窓尾根では感じなかった。
やはり雪の状況で緊張度は大きく変わると実感した一日だった。
翌日は、後発隊と合流です。
合流前にMと私は、八ツ峰にアタックしました。
2日八ツ峰上半部、後発隊と合流
3日剣岳中止し黒部別山往復
4日剣岳登頂後、BC撤収、内蔵助平から黒部ダム
5日黒部ダムにてY会長らと合流、解散。