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ヒマラヤ7,000m峰への挑戦と挫折⑪

高山病による下山

 「1997年長崎県山岳連盟サトパント峰学術登山隊」の記録を登頂断念記より投稿しています。

 8月17日ビバークアタックし登頂断念の決断となりましたが、私は12日C1からBCに戻り、ここでも回復せずポジュパスまで下り高山病と戦っていました。

高山病に罹ると滞在地の標高を下げるしかありません。
キャラバンが始まるガンゴトリ標高3,048mから風邪気味でしたが、
キャラバンが進み標高が上がるにつけ症状が進んでいました。
ベースキャンプでハッキリと自覚症状がでていました。
それでもキャンプ1に上がったのは、何故でしょう。
まだ挑戦したいとの思いが強かったのでしょう。
キャンプ1では顔にむくみも出て下山指示が出ました。

ポジュバス   標高3,792m 03∼04日滞在、15~21日間 滞在
(富士山 標高3,776m)
ベースキャンプ 標高4,800m 07∼10日滞在、13~14日滞在
キャンプ1   標高5,100m 11∼12日滞在

ボジュバスでの療養

写真日付を改めて見てみると13日に直ぐBCを離れたのではなく
15日からボジュバスへ下ったようです。

8月13日 本隊は先発隊がC2に入り、後発隊はC2手前で幕営。
高山病の私とKB隊員は付き添いのMU隊員と共にBC滞在。
私は一日寝ていたのかも。

 8月14日 本隊はC2設置し上部ルート工作。
この日もBC滞在か?断念記ではハッキリしません。個人日記もなし。

ベースキャンプの風景

8月15日 ボジュバスに向け下山 

本隊の行動もハッキリせず。C2休養か?
私は写真を見る限り、この日にボジュバスに向け下ったようです。 

モーレン帯、右はチャントランギ氷河
私はザックも背負っていません。
先を行くKB隊員、後は付き添いのMU隊員
私の荷物はポーターが担いだのか?
氷河末端ゴームクまで下って来ました。

上りは3日間かけてBC入りした距離を1日でボジュバスに下りてきました。この地で21日まで本隊の下山を待っていました。

ボジュバスのツーリストバンガロー等。奥の方から下って来ました。

8月16日 ボジュバス滞在1日目

アタック隊3名は標高5,900m地点でビバーク?
私は、この日のボジュバスでの写真は一枚もなし。
多分、ツーリストバンガローのベットで横たわっていたのでしょう? 

8月17日 体調少し回復か

アタック隊は最高到達点6,000mで登頂を断念しC1へ下山。
私は、写真数枚あり、周辺を散策したようです。回復傾向のようです。

ボジュバスの上からの写真。ここまで登って来たのでしょう。正面は6,000m級の山並み
何の花でしょうか
バギラッティ峰。左手に廻り込みBCになります。
シブリン峰6543m。今年のサトパントはシブリンより厳しかったとの話。

8月18日 ボジュバス滞在3日目

本隊はC1からBCに下山。
私は、この日も写真なし。どうして過ごしたのか日記がなくハッキリしません。 

本隊BCでの写真か?

8月19日 ボジュバス滞在4日目

本隊はBC滞在、共同装備の整理梱包。
私達は、少し足を延ばしキャラバンコースを歩いたようです。
茶屋やお花の写真もあります。

どこでしょう。ボジュバス周辺ではなさそう?
ガンゴトリ方面に下って戻っているようです。
キャラバン街道
何の花?
何の花?
茶屋に向かっています。
茶屋でチャイを飲んだのかな?
ボジュバスへの戻り道
ガンゴトリに続くキャラバン道

8月20日 ボジュバス滞在5日目

本隊は昨日に続きBC滞在、ポーター集結。
私達は、この日も散策か。ガーネット探しに没頭していたのかも?
随分と回復したようです。

少し高台まで登って来たか
アザミ?
判りません
急斜面ですね。
花の先にはシブリン峰が顔を出しています。
バギラッティ峰
MU隊員は地学専門の高校教諭です。ガーネット探しの石割
山登りのお土産はガーネット石でした。数cmの小石を沢山採取。

8月21日 ボジュバス滞在6日目本隊合流

登頂の知らせに胸を膨らませ期待し待っていました。
こちらからは尋ねず、お疲れ様の握手で迎えました。
どんな雰囲気だったのか、ハッキリしませんが登頂できずと感じとったようです。
日記に書き残していると、記憶も蘇るのでしょうが今更ながら残念です。
本隊を迎えた写真もありません。

ツーリストバンガロー
お金持ちさんは馬?に乗って巡礼するそうです。
いつも仰いだバギラッティ峰

八ミリカメラで納めていたのでフィルムがあるかもです。
次回は、この遠征最終回を投稿予定です。


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