山登り人生vol77稲佐山権現岩
26歳。娘1歳。11月3日長男誕生
権現岩の山行記録は中身なし、期日とメンバーのみ。
ヨーロッパアルプスを視野に入れた活動が続き、打ち合わせも頻繁でした。
権現岩にはこれまで4回のみです。
昭和50年度には2回訓練に参加し、昭和61年が最後になっています。
当時の写真なし。
ネットより借用しています。
No189県岳連遭難対策訓練(稲佐山権現岩)
昭和50年11月23∼24日 多数
二度目の権現岩
一度目はNo107第2回県登山大会(権現岩) 昭和47年11月18~19日 多数
※1月22日 ヨーロッパ合宿打合せ M宅(S・I・M・I三姉妹)
計画概要、参加者、役割分担など協議
※2月15日 50年夏、労山主催の山行に参加した
O氏(長崎時津町在)を訪問し アドバイスを受ける。
※2月17日 M先生宅にて打合せ
20日 自宅にて打合せ
25日 I宅にて打合せ
※3月03日 S宅にて打合せ(アイガー北壁は対象外)
No191県岳連遭難対策訓練(稲佐山権現岩)
昭和51年3月7∼8日 多数
※3月16日自宅にSが来訪(ヨーロッパ合宿不参加の表明あり)
20日会長宅にO氏来訪、8mmフィルム鑑賞
24日M宅にてヨーロッパフリータイムなど打合せ
最後の権現岩は、
No437県岳連指導員研修会(稲佐山権現岩)
昭和61年12月6~7日 多数
指導員講師が宴席で良く歌っていた「長崎ぶらぶら節」
この権現岩、ネット検索すると数は少ないですがフィットします。
今も、トレーニンングの場として登られているようです。