見出し画像

山登り人生vol115衝立岩東壁完登

28歳。長女3歳、長男2歳。
昭和52年度は黒髪づくし龍門づくし、この山行を振り返ります。
牧の山南面の主な沢をトレースし屏風岩西稜もルートを作り概念図作成し長崎県民体育大会山岳競技も開催し、竜門渓谷を紹介しました。
沢から岩へ。6月に敗退していた衝立岩に向かいました。

No231衝立岩東壁初登

昭和52年12月4日 
松の木ルート
トップ私、ラストM社長 
取付き10:30→12:50終了
1P第1バンドまで20m・Ⅲ級上、確保用ボルト1本
2P第2バンドまで8m・Ⅳ級下、確保用ハーケン1本
3P終了点30mⅢ級上(Ⅳ級上10mを含む)確保用ボルト1本
全体60m総合グレードⅣ級下。

左直登ルート
トップH先輩、ラストI三姉妹中姉ちゃん 
取付き11:00→12:25終了
1Pは松の木ルートに同じ
2P~終了点40mⅣ級上(Ⅴ級中の10m含む)
全体60m総合グレードⅣ級上

牧の山南尾根250m地点にあるこの衝立岩との出会いは6月12日でした。
8月6日ブログ投稿しています。

この東壁は幅60~70m、高さ80~100m
下部20~30mは樹木に隠れツタが繁っており登攀対象にはならない。
この岩場はクライミングの場を提供してくれた。
先週一人で来たH先輩より連絡があり、M社長らも誘い出掛けた。
河鹿橋から取付きまで20分。
東壁南のジャンダルム(後年、蟹岩と知る。)より詳しく偵察する。
暖傾斜から急傾斜を2回繰り返して上部に延び、
屈折箇所はバンド気味になっている。
急傾斜を乗り越える箇所がポイントであり、
左に進むにつれ傾斜はきつくなる。
右上部には松の枯れ木がありこのラインが一番易しいようだ。

稜線より右に5m廻り込み下った所が取付きである。
M社長に確保をお願いしてザイルを延ばす。
10m右上し小さな木に支点を取り、次は左上気味にルートをとる。
10mで第1バンド。4人どうにか集まれる。
確保用ボルト1本を打ち込んでM社長を引き上げる。

H先輩・I中姉ちゃんも間隔を置き登って来る。
H先輩が登って来たところで更にハーケン1本を打つ。
I中姉ちゃんが登って来る間に私は第2バンドに向かって8m右上する。
出だしが嫌らしい。ピッチは短いがM社長を上げる。
ここから直登するのだが、3m程は小ハングとなっている。
ボルトを打つが穴が次々崩れてしまい突破できない。
この間、H先輩組は
第1バンドより難しいルートを採り左直登ルートに挑んでいる。
こちらからのコールに返事できないほど難場らしい。
時折、下の方から山の家管理人さんのコールが聞こえる。
心配して見に来たのだろう。
私が直登を諦めた頃、H先輩組はラストの中姉ちゃんが登っていた。

ハーケンを1本打ち、第2バンドを左に3mトラバース、2m直上し右に5mトラバースしてM社長が確保している上部にでる。
傾斜が緩くなり松の枯れ木に着く。
捨て縄で支点をとり直上する。
ここからはどこでも登れ、一定の斜度で頂上に延びている。
左に寄るとグレードは高くなる。

H先輩組に迎えられて頂上へ。
頂は広々して岩屑がいっぱいである。
ビレー点はなかったが腰をしっかりと落とし、M社長にコールする。
連絡がなかなか取れない。
ザイルが延びて来ない。とにかく弛ませないようにする。
しかし、このことがラストは微妙なトラバースに移ることが出来ず、
小ハングの直ぐ左を直登することになったらしい。
ことごとく落ちるホールド・スタンスに神経をすり減らしながらの登攀だったようだ。
到着第一声が「だんじゃなかったばい。」

初登記念と確保用を兼ね、頂にボルトを打ち込む。
H先輩組の左直登ルートは、Ⅴ級を含む難しいルートで、阿蘇北壁の類ではないとH先輩。
この高度感は、フリークライミングするうえで、より難易度を高めている。竜門渓谷での山行を締めくくる素晴らしい登攀であった。

次回投稿は、いよいよ地域研究「黒髪山系」の最後になります。
 
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?