山登り人生VOL474日本百名山47座目雲取山
1969年9月23日から記録を執り始めた山日記をブログで振り返っています。ブログは2021年9月1日から始め3周年を迎えました.。
先月2日連続投稿が1126日で途切れましたが、気をとり直し続けています。
このシリーズ「山登り人生」は、2023年3月29日から始めています。
この投稿は、46歳頃の山登りです。
平成7年度の山行は23回延べ44日と
前年度比4回・4日増と微増となりました。
上部団体への出向が解け4月企画部門に復帰しました。
7月には広域圏事務局への出向となります。
出張帰りの雲取山です。
No611雲取山∼三条の湯
平成7年9月30日~10月1日 単独
日本百名山47座目。
9月30日(晴れ)立川⇒奥多摩湖・鴨沢8:30→12:00雲取山12:30→
14:30三条の湯山荘(山荘泊)
10月1日(晴れ)出発6:30→林道6:50→林道途中車に乗せて頂く7:20⇒9:00青梅駅
28日から東京でした。
29日に自治省(現総務省)でヒヤリングを受けたが、
あれだけ苦労して準備した仕事は30分で終わった。
私自身、国の方相手に一人で対応したのは初めてのことであった。
相手は佐賀県からの出向者であったが、
付け焼き刀で勉強した経済の活性化策には不安があったので、
とりあえず終わってホットする。
予定はふらついていたが今日中に立川の宿に入ればいい。
ヤクルト・巨人戦の看板を見て、
今日ヤクルトが勝てば優勝だと早速神宮に足を運んだ。
結局負けて感動の優勝シーンは観れなかったが、
公式戦カードの熱気を肌で感じて球場を後にした。
前置きが長くなったが、
立川から列車とバスを乗り継いで雲取山登山口の一つ鴨沢へ。
奥多摩からは10名程の登山者がバスに乗ったが、
途中で少しづつ下車に鴨沢へ向かったのは4名であった。
釣り客が多いようだである。
集落の中から急登である。
ひと登りで大きな林道を横切って山道に再び入った。
暫くは大した自然を感じることもなかったが、
稜線手前からブナ原生林となりブナの香りが身体を清めるようであった。
稜線に出ると左手に富士山を終始眺めながらのハイキングコースとなった。
雲取山は東京・埼玉・山梨3県の境であった。
昨年8月登った大菩薩嶺も手に取るように見える。
その北側にも百名山が見えているのだが、一つ一つを確認できない。
山頂には紅葉した木が僅かに見られたが、まだまだである。
北側の急な坂を下って三条の湯を目指す。
急坂が終わりコルから西斜面を山腹を巻くように下って行く。
三条の湯は原生林に囲まれた山奥の温泉宿である。
ここに泊まるためにコースを設定した。
まだ陽は高いがのんびりしよう。
こんな山行は馴れていないので落ち着かない。
温泉で汗を流し身体を横にした。
夕食時はかなりの登山者となった。
この山荘を目的に登って来る人が多いようだ。
ここが好きで手伝いに来ている山ヤもいる。
驚いたのは80歳の爺さんが一人で登って来たことだ。
前に座ったこの爺さんの話を聞きながら驚くばかりである。
ウィスキーをビールで割って飲むのにも驚いた。
いつも決まったコースを人の何倍もかけマイペースで登るそうだ。
いつもいつも同じコースは安全、違うコースは冒険になると言っていた。
目標にしていた90歳の婆さんが
昨年遭難死したのを寂しそうに話しておられた。
婆さんは違うコースを歩いたための事故だと言う。
明日は山頂山荘まで登り、
翌日下山すると言う名物爺さんにエールを送りたい。
山荘から下、
林道までの山道もブナ原生林で紅葉が始まれば最高だなと思いながら下る。しかし台風の影響で無残にも何本ものブナの大木がなぎ倒されていた。
長い長い林道であったが、
三条の湯の手伝いに来ていた山ヤの車に拾われた。
一人は山学同士会員と言っていた。青梅まで同乗できた。