新潟・山形・福島三県にまたがる飯豊連峰.日本百名山87座目
飯豊連峰とは
『飯豊山というより飯豊連峰と呼んだが適当かもしれない。新潟・山形・福島三県にまたがる膨大な山塊である。最高峰は大日岳だが、古来信仰の対象になった飯豊山は、その東にある2105米峰である。その三角点から少し下った所に飯豊神社があり、そこへ詣る表登山道には、そこで草鞋を脱いだという草鞋塚、神域に入る前の試練の岩場御秘所、いよいよ社にさしかかると御前坂などの名前が残っていて、昔の宗教登山の盛んだった頃がしのばれる。』
「新潮文庫 日本百名山 深田久弥著」より飯豊山の冒頭部分を引用しました。
春の飯豊山 平成22年5月 5名の登山記録
『最短距離から飯豊山へ』
飯豊の良さを知るには、山形県側(北部地域)の飯豊山荘から石転び沢などのコースがいいようだが、最短は今回のコースである。メタボ体質となり危機感が募っている私である。ボッカトレを3回実施して飯豊山に臨んだ。
5/1 天神15:00=(北陸道・常磐道)=
二日目 入山。長坂尾根に幕営。
5/2津川IC=福島県喜多方市川入=8:15御沢キャンプ場8:50→下十五里10:00→中十五里10:30→上十五里10:55→12:20横峰小屋跡付近1350m(幕営)
積雪多しの情報で、川入(飯豊鉱泉)から歩くのかと思っていたが、御沢野営場まで車で入れてホットした。40分は短縮した。大白布沢に沿って少し歩くと御沢登山口から長坂尾根の急登となる。登り始め間もなく雪道となり、標高600m弱から横峰小屋跡1350m付近までテントを揚げた。ここから明日、飯豊山を往復する。
三国山をバックに。まだ先に進みたいが疲れも出てきた。ここからだと山頂は往復約12時間の行動である。明日の行動はキツイがテントを張った。
三日目 幕営地から飯豊山往復
5/3出発4:50→剣が峰5:40→6:00三国岳(三国小屋)1644m →7:20切合小屋→8:00草履塚→8:20御秘所→9:15本山小屋(飯豊山神社)2102m→9:35飯豊山2105.1m→9:50本山小屋→11:00切合小屋→12:50三国小屋→13:50幕営地
先ずは地蔵山方面が目標である。ここから西に向きを変え尾根を登って行く。三国岳1644mには三国小屋が建っている。ここまでは剣が峰の岩稜あり、痩せ尾根ありで、注意を要する場所だ。しかし、今日は快晴、雪面のクラストもなく緊張することもなく、モルゲンロートに輝く雪面を楽しみながら登った。
『核心部は福島県領地が細長く延びている』
地図を見て驚いた。今日登るコースだが、三国岳から飯豊本山、さらに少し先の御西岳までは福島県領地が細長く延びているのだ。5万分の1地図でははっきりしないが、幅数十m、長さ10キロ弱か、盲腸のように延びている。飯豊山神社の所領権をめぐって米沢藩と会津藩、新潟県と福島県が争ったと言われているとか。そしてこのコースには、信仰登山の面影を見たり感じたりする地名も多い。下十五里、中十五里、上十五里、地蔵山、草履塚、姥権現、御秘所、御前坂といった具合である。
左が大日岳?、右のなだらかな頂が飯豊山か
三国岳から、いよいよ細長く延びる福島県領地である。その右側(東)は山形県で左側(西)は新潟県である。サンドイッチだ。新潟県側は吹きさらしのため雪が溜まらず、山形県側は風下で多量の積雪となる。この現象から山形県側は侵食が進んで、飯豊連峰を非対称山稜にしている。綺麗な雪庇をみることができた。
さあ戻りましょう。
三国岳避難小屋まで戻ってきました。
戻ってきました。9時間で往復し予定より3時間も早くテントに戻りました。今夜は二泊目です。
四日目 下山。鶴ヶ城、大内宿に遊ぶ。
5/4出発6:10→6:40上十五里→7:40御沢キャンプ場8:00=いいでの湯(入浴)=山都町そば街道(宮古そば)=会津若松(鶴ヶ城)=下野街道(大内宿)18:00=一路帰路へ(常磐道新鶴ETC専用出入口)=5/5 12:30佐世保
『山麓は桜が満開、カタクリの可憐な花も。』
山都町は桜が満開。会津若松城(鶴ヶ城)も花見客で賑わっていた。そば街道でソバを食べカタクリの群落が目を楽しませてくれた。
下野街道(大内宿)まで南下しました。
下野街道(大内宿)18:00=一路帰路へ(常磐道新鶴ETC専用出入口)=
5/5 12:30佐世保 18時間30分の長いドライブでした。