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日本三百名山の踏破②

日本三百名山とは、日本山岳会によって選定された300の山です。
日本百名山の全てを含み、日本二百名山については荒沢岳が含まれていません。新たな山には20座に登っており、未投稿の中国・四国の5座を投稿しています。

四国の瓶ケ森です。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』では、次のように紹介されています。
瓶ヶ森(かめがもり)は、四国山地西部の石鎚山脈に属するである。標高1,897m。
日本三百名山および四国百名山の一つに数えられる。愛媛県第三の高峰で、四国でも二ノ森 (1,929m) に次いで5位、西日本でも八経ヶ岳に次いで7位となる。瓶ヶ森の名称は山頂西側の湧水のたまる瓶壺(かめつぼ)に由来する。
最高峰は女山(めやま)とも呼ばれ、そこから南側になだらかな稜線をたどると男山(おやま)山頂がある。南東側に対峙する岩峰の子持権現山 (1,677m) と共に古来より石土信仰の対象とされ、女山山頂には蔵王権現、男山山頂には石土古権現のが祀られる。 瓶ヶ森を含む石鎚山脈一帯は石鎚国定公園に指定されている。愛媛県と高知県の県境からやや北側に外れた位置にある山頂には二等三角点「亀ケ森」 (1,896.22m) が設置されている。石鎚山、笹ヶ峰と共に伊予の三名山とされる。
山頂からは西側のウラジロモミおよびその白骨林の点在する氷見二千石原(ひみにせんごくばら)の向こうに石鎚山、北側に瀬戸内海、南側に幾重にも重なる四国山地の山々とその向こうに土佐湾を望むことができる。氷見二千石原は隆起準平原の残留物と見られる西側に傾斜した笹原の平坦地で、藩政時代に二千石の石高であった山麓の西条氷見のように広いことから名付けられた。
瓶ヶ森は吉野川の源流域にあたり、直下の瓶ヶ森林道沿いに吉野川源流の碑がある。
22歳、70歳の時、2回登っています。

1回目No52 瓶ケ森∼石鎚山∼二ノ森 
 

昭和46年7月28日~8月1日 3名
30日 西条→瓶が森→土小屋
31日 土小屋→石鎚山天狗岳→堂が森→梅市→面河
 51年前、22歳時の記録です。
山岳会に入会して2年目の夏、3名で縦走した。
1日目で土小屋まで歩き、
2日目に石鎚山天狗岳に立ちブロッケンを初めて見て堂が森まで更に縦走して梅市に下った。
面河渓谷で3日目の朝を迎えた。やはり元気だった。

2回目No1349瓶ケ森∼石鎚山

令和元年11月1∼4日 7名
1日佐世保⇒
2日⇒西条市西の川(幕営) 起床5:30
出発6:30→名古瀬登山口→常住→鳥越→瓶壺11:40→永見二千石原昼食→瓶ヶ森13:00→男山13:10→瓶ヶ森登山口14:00→15:30シラサ避難小屋
3日縦走(石鎚山・成就社へ下山)→山麓下谷駅
4日帰路⇒佐世保 

今回初日は標高差1,500mの登りで寝不足で予想どおりしんどかったが中腹域での紅葉に癒された。

5時間を要して瓶壺に。48年前の記憶は殆どないが瓶壺での水が美味しかったことははっきり覚えている。今回、残念ながら流土砂の除去作業中で水は溜まっていなかった。

この先は素晴らしい景観の氷見二千石原である。

バックは石鎚山
バックは男山

多くの登山者は我々のように苦労はしない。テレビCMで車コマーシャルにも登場する天空スカイラインの林道から簡単にやって来る。1時間もしないで瓶ヶ森山頂に立てるのだ。

女山への最後の登り

山頂からの一大展望。なんと言っても君臨する石鎚山の威容である。あそこまで歩くのかと気が遠くなる。東には伊予富士から笹が森へと続く四国の屋台骨だ。この景色を見ただけで満足である。西の川から登って来たことに価値がある気がした。

登山口駐車場は直ぐであった。多くの車、バイクが停まっている。

子持権現山

ここからは林道が平行しているが縦走路を忠実に辿ることにした。
子持権現山は登っても引き返すことになるのでパスして東側を廻り込んだが、クマザサが茂って歩きづらかった。

子持権現山手前の賽銭箱

やはり林道が整備され歩く登山者が少ないのだろう。子持ちを過ぎると大した登り下りもなくシラサ峠に達した。休業中の山荘シラサ駐車場に幕営かと思っていたが、立て替え工事中で少し下った避難小屋に向かった。

子持権現山方面を望む。
翌日の出発前

瓶壺で水補給しなかったことを悔やんだが、小屋近くの伏流水を先客に教えていただきホットする。綺麗で冷たい水だ。小屋は立派である。テントは担いでいたが張らずに入り込んだ。楽しい夕食は、先客一人も誘い至福の時を過ごした。

次回は、四国の三本杭を投稿予定です。
 

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